北本市史 資料編 現代

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第1章 政治・行政

第3節 北本市の発足

52 昭和四十六(一九七一)年九月 市制施行の協議について
  (埼玉県行政文書昭二三六一〇 県立文書館蔵)
         昭和四十六年九月六日
 自治大臣 渡海元三郎 殿
         埼玉県知事 栗原 浩
     市制施行の協議について
管下北足立郡北本町を、下記のとおり北本(きたもと)市といたしたいので、地方自治法第八条第三項の規定により協議いたします。
           記
市名北本(きたもと)市
市制施行予定年月日昭和四十六年十一月三日
市の事務所の位置北本町大字下石戸下一七七四−三
市制施行理由書別紙のとおり
町議会の議決書および会議録の写し(略)
市制要件条例    (略)
市制施行協議基準調書(略)
関係図面および写真(略)
     理由書
北足立郡北本町は、(中略)昭和一八年二月一日石戸村、旧中丸村が合体して北本宿村を設置し、昭和三四年一一月町制を施行して、その名を北本町と改めて今日にいたった町である。本町は、(中略)都心へ四〇〜五〇キロメートル、約一時間という距離にあるため、近年、企業、住宅等の進出が相つぎ首都近郊都市として著しい発展を見せている。そのため人口の増加が激しく、国勢調査人口で見ると昭和三五年一五、四八三人、昭和四〇年二〇、五七六人、昭和四五年三一、六九九人であり、最近五年間の増加率は五四・ 一 %である。なお、現在建設中の日本住宅公団北本団地の完成(四六・九完成予定二、一〇〇戸)等により、さらにいっそうの人口増加が見込まれている。
また、町の中心地区の連たん戸数は、全体の七ー ・三%であり、就業構造においても、昭和四〇年の国勢調査において第二次、第三次産業の従事者は七五・八%、昭和四五年二月の世界農林業センサスにおいては、これが八〇%となり、農村的な性格から脱皮して都市化現象が顕著である。
このような急激な町の変ぼうに対処するため、町当局は北本駅を中心とした商業地区の設定をはじめ、工業地区、住宅地区の整備および土地区画整理等の都市計画事業等を積極的に推進するとともに、学校、社会福祉、環境衛生施設の整備拡充に意を注いでいるが、一応、市としての形態も整備されてきたので、九月四日町議会の全員一致による議決を経て、市制施行の協議を求めてきたものである。
これに対して、県は、法律要件および県条例に定める要件について、現地調査および書類審査を行なったが、北本町の現況は上記の各要件をすべて充足しており、また、既存の市と比較してもそん色はなく、将来の発展性も極めて明るいものがあるので、市制施行は適当であると認め、ここに協議するものである。

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