北本市史 資料編 現代

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第6章 教育と文化

第2節 学校教育施設の拡充

170 昭和三十五年一月中丸小学校講堂建設につき請願
  (『陳情請願関係綴』)
    請願書
昭和三十四年十一月三日に待望の北本町は発足いたしました。過去の純農村は都市形態へと移行し輝かしい未来が祝福されていることは御同慶に堪えません。本町は農村当時より積極的な農村研究者や篤農家を多く輩出し、全国にその名をうたわれました。これも、伝統的に教育に熱心で人材育成に努力された賜と存じます。過去十年間にも校舎の増築に施設の拡充に努められましたことは、他町村の追従を許さない所私達教育関係者として、心より感謝して居ります。併し中丸小学校の講堂は叫ばれながら遂に実現出来ませんでした。町制施行のよき年を記念し本町の将来と児童の幸福を考えられ、本校多年の悲願である講堂建設の議是非共お願い致します。申すまでもありませんが近代教育における講堂の有無は教育活動を大きく左右いたします。県下に本校程の学童を有しながら講堂を持たない学校は殆んどない現状からも明らかであります。国家行事において学校行事において学童を一定の場に収容出来ないことは、集団学習を停止させることになります。冬期三ケ月運動場が全面使用出来ない本校としては、雨天体操場としての講堂を活用することによって体育の向上に役立つこと多大であります。社会教育における講演会、母親学級開設における場の問題等申すまでもありません。北本中学も生徒が飽和以上の状態になっている由、又、町制施行第一年何かと不可欠の問題も山積御当局の御苦心もお察しいたしますが教育こそ百年の大計です。年毎に文化都市としての形を整えて行く本町、殊に三校中一番児童数の多い本校のみ残された講堂の問題でもありますので、御審議御採用の程学区内全員に代って請願いたします。
 昭和三十五年一月二十八日
  中丸小学校PTA会長 北沢二郎㊞
  中丸小学校長     水野雅休㊞
      (中略)
 北本町教育委員長
   新井 光弥 殿

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