北本市史 資料編 現代

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第6章 教育と文化

第6節 宗教界の改革と解脱会

戦後の北本の宗教界は、我国における軍国主義勢力の排除と民主主義の実現のための占領軍の諸施策実施により、他部門と同様に一大変革を余儀なくされた。まずGHQは、終戦前の国家主義・軍国主義思想培養の源とされていた国家神道を一掃し、日本国民の信教の自由や政教分離のための宗教界の大改革を図った。占領軍の進駐まもない昭和二十年(一九四五)十月、「政治的社会的及宗教的自由ニ対スル制限除去ノ件」の指令を発して従前の「宗教団体法」を廃し、次いで同年十二月に、いわゆる神道指令といわれる「国家神道・神社神道ニ対スル政府ノ保証・支援・保全・監督並ニ弘布ノ廃止に関スル件」を発し、国家による宗教統制を一掃した。これにょり神社は国家の保護から切り離され、信教の自由のもとに他宗教なみに存続することとなった。信教の自由と政教分離の原則は他の宗教にも適用され、ひいては宗教的中立性として教育界にも大きな影響を及ぼすに至った。信教の自由に基づき宗教団体法が廃されると、代って「宗教法人令」が公布された。同令は、これまでの宗教団体に対する監督官庁の束縛・干渉を排除し、宗教団体は宗教法人としての設立登記だけで成立し、規則の変更、総代の選任、解任、財産処分などもすべて自由とされた。これにより市域の寺社も新法人に切り換えられ、再発足することとなった。
本節では、主として解脱会に関する資料を中心に掲げ、この期の市域の宗教界の動向を窺うこととした。
まず前述の宗教法人令(昭和二十年十二月公布、翌二十一年一月改正公布)に基づき、昭和二十一年五月に天理教石戸分教会が設立届(資料192)を出し、解脱会は同年十月に「教会設立届」(資料193)を西村県知事宛に提出している。これには資料194に掲げた全二四か条に及ぶ詳細な「解脱教会規則」が添えられ、同会の詳細な組織・構成を窺うことができる。次いで同二十二年三月、先の二十一年九月に定められた「解脱報恩感謝会規約」に基づいて、東京都四谷区荒木町五番地の六に設置されていた解脱報恩感謝会の教団事務所が北本宿五四四番地の五に移され(資料197)、同二十六年四月「宗教法人法」が公布されると、同二十八年一月九日に宗教法人として登記された。
近代編第四章第三節解脱会の項でも述べたように、北本は会の開祖岡野聖憲師の出身地でもあったことから、同会の御霊地が置かれ、春と秋の大祭には臨時列車が運転されるほど全国から多数の会員が集まった。ここでは昭和三十九年五月に行われた春季大祭の埼玉新聞の記事を紹介した。こうして会は隆盛をとげ、会員数も増加して昭和四十八年には一九万人を超えており(『宗教年鑑』文化庁)、海外にも布教地を設置するなど、その宗教活動を拡大している。

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