北本市史 資料編 現代
第6章 教育と文化
第2節 学校教育施設の拡充
アメリカ教育使節団の勧告を具体化するため、教育刷新委員会の建議により、昭和二十二年(一九四七)三月、教育基本法が公布された。教育基本法は、日本国憲法の精神に基づき制定され、戦後教育の指針となったのである。同日、学校教育法が公布されたことにより、従来の国民学校令・中学校令などが廃止となり、新たな教育制度が展開されることになった。いわゆる六・三制が開始され、新制小・中学校が発足するが、北本では、中丸国民学校が中丸小学校、石戸国民学校は石戸小学校と改称された。また中丸中学校が中丸小に、石戸中学校は石戸小に併設された。六・三制は予算不足の中で出発したため、多くの自治体が中学校校舎の建設に苦慮した。北本では、昭和二十五年四月、住民の援助により独立校舎が建設され、両中学校が北本宿中学校として統合された。資料166は、同中建設によせられた寄附金への感謝状である。また、北本宿中学校は町制施行に伴い、北本中学校と改称されている。四十年代に入ると児童数が急増するが、その対応策として、小学校の新設(資料174)他、資料には見えないが、増築が行なわれた。さらに、四十六年秋から住宅公団北本団地の入居が開始されることに伴う児童数の急増が見込まれたため、同団地内に栄小学校が新たに開校された(資料175)。