北本市史 民俗編 民俗編一覧

全般 >> 北本市史 >> 民俗編 >> 民俗編一覧

第2章 社会生活と親族

第2節 村の中の区分とつきあい

2 クミアイと近隣のつきあい

荒井
先に述べたように荒久保・風原・馬場・東原・南・荒上手・北袋の村内区分がある。
荒久保と風原とは自治会は西一三地区自治会である。風原には昔からのクミアイが二組あり、前組・後組という。この二つの組はそのまま自治会の一班、二班となっている。一方の組内に祝儀、不祝儀があれば、片方の組も手伝う。このようにしてクミアイ同士が助け合う。戦後移住した人達ともクミアイの付き合いをする。
荒久保にも二つのクミアイがあり、自治会の三班、四班になっている。西一三地区には他に五班があるがこれは新入者の組である。二つあるクミアイの一つは、手が足りないと、すぐそばの高尾分の五軒が手伝う。荒久保とこの五軒を含めてキュウブツ(九仏)の付き合いという。近世村をこえた家々のつきあいである。クミアイを五軒クミアイともいう。
昔は長男の結婚式に風原全体で手伝った。また葬式にも風原全体で手伝いをした。祝儀、不祝儀の手伝いにはクミアイとイッケが集まる。イッケの人が接客を担当してクミアイは台所を手伝う。
東原は、現在は約九五戸あり、うち、戦前からの家は一五戸くらい。現在の自治会の西一一区に属している。自治会の班が第一班から第八班まである。もとはクミアイを元にした第四班までしかなかったが、家が増えたため今から六年ほど前に一つの班を分割してその数を倍にした。新しい班では回覧板の回る程度のつきあいをしており、元の班の構成員同士で祝儀、不祝儀の手伝いをする。
祝儀、不祝儀の手伝いにはイッケと分割前の班が当るが、シキモリは本家、接客はイッケ、台所は班という役割分担がある。
南(西一〇地区)は下石戸上分の南と荒井分の南とがあるが、戦前から荒井分の南の七軒はオクミアイと称してつきあいがあった。冠婚葬祭の他、子供が生まれればお祝いをするし、誰かが入院すれば見舞にいく。親戚より深いつきあいだという。西一〇地区には九つの自治会の班があるが、班とオクミアイとは別物である。
荒上手のある班はクミアイが元になっており、よそから新しく入ってきた人も入る。そこで構成員が増えて一五軒ほどになった。元は五軒クミアイだからということで三つに分けた。分割前のクミアイを旧クミアイとも呼び、分割後も祝儀、不祝儀で手順が分らない時などは旧クミアイが集まり、助け合う。旧クミアイの中でも本当に古い家は五軒ほどである。
昔は三年に一回くらいの間隔で井戸替えをした。年に二回ずつきびしい衛生検査があって、床下まで掃除し、巡査が検査し不合格だとやり直しを命じられていた。そこで人手のいる井戸替えにはクミアイが協力した。

<< 前のページに戻る