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第3章 農業と川漁

第1節 畑と畑作物

1 畑と山起こし

(一) 畑
北本市は大宮台地北端部に位置し、基本的には畑作を中心とする所だった。戦後になって畑を陸田化するまでは、水田は荒川東岸の台地下、台地間の谷、市東部の赤堀川沿岸にあるだけで、台地上のほとんどが畑と山林であったといえる。明治八年の『武蔵国郡村誌』に記載された各村々の税地をみると、表3のように現北本市域では、耕地(水田、畑)の八六.六%が畑地で、本宿と東間は耕地のすべてを畑で占め、また石戸宿や高尾、深井では畑が九〇%以上の高率を示している。各地区で畑が高率を示すということは、各家ごとにみても同じことで、たいていの農家は七、八反から一町前後の畑を耕作し、なかには二、三町歩も作る家があるが、逆に水田は多くても二、三反とか、まったく耕作しない家もあった。
このような畑地優越、畑作中心の農業は戦後まで続き、昭和三十年代半ばからは前述のように陸田が次第に造成されて多くなっていく。陸田は畑に井戸を掘って水を汲み上げ、畑の周りに畔を作って水田化したので、畑は面積を減じ、昭和六十年の『農業センサス』では、表2のように水田との面積比は大差がなくなっている。とくにJR高崎線以東の地区では水田と畑の比率が逆転し、水田の方が多くなっている。
大宮台地周辺の地域では、台地上の畑をオカッパタケ(岡畑)、低地の畑をシマッパタケ(島畑)と区別するのが一般的だが、北本では畑といえばほとんどが台地上にあるためか、立地による明確な区別は聞かれなかった。ただし、桑畑との区別でサクバタケ(作物を作る畑)という言い方があったり、いくらかの土壌区分は行われている。台地上の畑は大半がアカド口 (赤泥)と呼ばれる関東ローム層の畑で、秋から冬にかけての乾燥期には強い西風にあおられて砂ぼこりが舞い上がったという。アカド口はきわめて軽質な土壌で、冬にはタッペ(霜柱)も高く立ち、このような所は野菜や大豆作には不向きだった。
土壌の種類としては、アカドロの他にクロマサ、ヒナドロ、ヘドロがあげられている。クロマサは窪地の黒ずんだ重い土、ヒナド口はヘナド口 (ヘナッチ)とも呼ばれる砂混じりのねばねばした粘土、ヘドロは低湿地の地力のない土である。ヒナドロやヘドロは水田の土質で、アカドロとクロマサが畑の土質である。アカド口に対してクロマサは野菜類や大豆などの作付に適する土質といえる。地域的にみていくなら、たとえば台地の東西端に立地する北中丸や宮内、石戸宿などの畑はクロマサ系統であり、これらの地区の間の台地中央部はアカドロ系統ともいえる。
畑は家屋敷や集落周辺にある開発の古い畑と山林だった所を開墾した畑とに大別できる。古くから耕し続けた畑は、毎年堆肥を入れたり、市西部地域のように荒川の洪水面からヤド口を取ってきて入れるなどしたため、開墾地よりも重い土壌となっている。長年の耕作によって土ができているわけである。
古くからの畑には所どころに丈の低い灌木をみることができる。一口サカイギ(境木)と呼ばれる木で、この木によって畑の境界を明らかにしていた。境木として使われている樹種は、ほとんどがニシグリ(ニッシクリともいい、ウシコロシのこと)と呼ぶ木である。この木は成長すると根は深く伸びるが、木自体はあまり大きくならないし、枝を切るなどしても枯れることはないという。畑の大きさは三、四畝とか一反数畝という具合いにまちまちで、形も不定形であったため、他家の畑との境にこの木を植えて目印とした。なお、境木にはニシグリの他にウツギを植えたという人もある。
はじめに述べたように全体として畑は多いわけだが、『武蔵国郡村誌』で一戸当たりの畑地面積をみていくと、明治初期には市域全体の平均は約八反九畝となる。地区別では石戸宿は約六反四畝、下石戸上は約一町歩、下石戸下は約一町一反五畝、荒井は約七反九畝、高尾は約九反一畝、古市場は約九反七畝、常光別所は約五反九畝、花ノ木は約七反七畝、北中丸は約九反一畝、本宿(北本宿)は約五反六畝、宮内は約九反六畝、東間は約七反六畝、深井は約一町三反三畝となる。これはあくまで単純平均なので、現実的には戦後の農地解放までは大尽といわれた地主と小作の格差が大きく、たくさん持つ家は数町歩、十数町歩とあり、持たない家はそれこそ数反、あるいはすべて小作ということもあったと考えられる。
畑の年貢(小作料)は現在と違って現物で納めるのが原則で、一年に麦年貢(冬小作ともいう)と豆年貢(秋小作)の二回が払われた。麦は大麦、豆は大豆で、下石戸下では一反当たり麦一石に豆五斗、高尾では麦が八斗から一石、豆が四斗から四斗五升、東間では麦が一石、豆が五斗だったという。もちろんこれは古老の記憶にある代表的な数値で、場所によって条件が違い、条件に合わせて小作料が決められていた。高尾では細かくいえば、豆を一とすれば麦は二の割合で、麦が一二斗の畑なら豆は六斗、麦一〇斗なら豆五斗、麦八斗なら豆四斗、麦六斗なら豆三斗となり、麦五斗の畑は豆はなしだった。氷川様の裏の平らな畑は麦一ニ斗に豆六斗、ゆるい傾斜畑は麦八斗に豆四斗(これをヨンパチという)、傾斜畑ならサブロク(麦六斗に豆三斗)、荒川の堤外(ていがい)は麦五斗の一回だけで、開墾畑はサブロクの所が多かったという。年貢の納入は麦は八月のお盆まで、豆は正月までと決められ、このうちの豆年貢は現金に換算して納めてもよかったとのことである。
表1 専兼別農家数(昭和60年)   (単位:戸)
総農家数専業兼業
第1種第2種雇用兼業自営兼業
北中丸1326224224
2251159222
3283619205
4297616166
北本宿302721208
山中18117153
花ノ木831441
常光別所348719242
古市場192314143
宮内上303918252
205411123
東間1104336
291844
32121919
深井1192116161
213148102
315168131
東地区総数360517523426247
二ッ家202315153
下久保202414162
371432306
上の上手224513135
北原201217163
九丁20521315
堀の內1701717
石戸宿372431323
横田1441014
231220157
東原202216153
馬場102855
荒久保251321204
荒上手1414104
宮岡331329293
河岸2521013221
丸山172411132
烏の木16311213
北袋314225243
谷足331329257
城中81167
台原225413161
本町91872
西地区総数49340638738964
北本市合計85391141621651111

(『1985年農業センサス』農業集落カードより作成)


表2 経営耕地面積(昭和60年)        単位(農家数:戸)(面 積:ha)
経営耕地
総面積
樹園地
所有農家数総面積所有農家数総面植所有農家数総面積
北中丸130.79 3024.30 325.7440.75
220.37 135.53 2511.07113.77
317.30 1910.66 275.51101.19
430.29 2819.86 2910.43
北本宿18.53 92.82 2910.89144.82
山 中8.25 82.36 185.6910.20
花ノ木17.86 711.14 86.6910.03
常光別所39.33 2930.91 326.90 51.44
古市場13.68 146.93 195.8350.92
宮内上29.71 2823.14 295.6720.90
22.38 1615.26 184.7652.36
東間17.11 52.00 104.5630.53
25.81 11.00 83.6841.13
38.81 52.43 215.8140.57
深井116.74 1911.32 183.3932.03
28.90 137.18 121.72
314.28 139.81 144.47
東地区総数310.14 257186.67 349102.817220.66
二ッ家15.24 72.40 208.10 144.74
下久保13.50 41.69 184.32198.09
28.16 1812.13 3715.0660.97
上の上手11.28 81.51 198.3191.46
北 原14.62 93.31 197.57173.74
九 丁10.37 90.98 198.3481.05
堀の内6.54 121.47 174.6430.44
石戸宿23.38 226.59 367.07219.72
横田7.67 102.37 121.7483.56
13.51 31.45 238.05174.01
東 原20.32 73.26 196.9290.78
馬 場9.02 40.42 93.9440.95
荒久保25.64 205.02 257.49167.81
荒上手17.51 72.24 145.3191.47
宮 岡11.05 2213.40 339.03123.21
河 岸17.51 2110.70 255.19101.62
丸 山11.05 136.21 154.6520.19
烏の木11.78 93.77 164.65123.36
北袋18.51 279.89 305.65172.97
谷足18.48 279.72 327.82100.94
城中5.36 40.35 82.1972.82
台原22.92 1811.39 2210.6970.84
本町1.71 50.69 96.9910.03
西地区総数322.84 286110.36 477147.6823864.77
北本市合計632.98 543297.03 826252.5231085.43

(『1985年農業センサス』農業集落カードより作成)



表3 明治初期の耕地(明治八年『武蔵国郡村誌』より作成)
耕作地水田山野
 (反別未定地)
合計
 (反別未定地除く)
面 積水田率面 積畑率
石戸宿九五町四反七畝一二歩
 九五四七.四a
二町七反一畝一二歩
 二七一.四a
二.八%九二町七反六畝
 九二七六a
九七.二%(山野)八町三反二畝八歩
   八三二.六a
一〇三町八反
 一〇三八〇a
下石戸上九〇町九反五畝一〇歩
 九〇九五.三a
一〇町六反三畝七歩
 一〇六三.二a
一一.七%八〇町三反二畝三歩
 八〇三二.一a
八八.三%(山野)四〇町四反 一歩 外反別未定山野
   四〇四〇.〇a
一三一町三反五畝一一歩
 三一三五.四a
下石戸下一〇五町 七畝一二歩
 一〇五〇七.四a
一四町三反 二六歩
 1430.九a
一三.六%九〇町七反六畝一六歩
 九〇七六.五a
八六.四%(山野)六一町三反四畝一二歩
   六一三四「.四a
一六六町四反一畝二四歩
 一六六四一.八a
荒  井九八町 七畝二四歩
 九八〇七.八a
九町九反八畝二歩
 九九八.一a
一〇.二%八八町 九畝二二歩
 八八〇九.七a
八九.八%反別未定山九八町 七畝二四歩
 九八〇七.八a
髙  尾一七七町一反五畝二四歩
 一七七一五.八a
九町四反五畝三歩
 九四五.一a
五.三%一六七町七反 二一歩
 一六七七〇.七a
九四.七%(秼場)三反二畝   外反別未定山野
   三二a
一七七町五反三畝二四歩
 一七七五三.八a
古市場三七町一反九畝二二歩
 三七一九.七a
八町九反七畝一三歩
 八九七.四a
二四.一%二八町二反二畝九歩
 二八二二.三a
七五.九%三七町一反九畝二二歩
 三七一九.七a
別  所三八町八反二畝四歩
 三八八二.一a
一九町三反 一三歩
 一九三〇.四a
四九.七%一九町五反一畝二一歩
 一九五一.七a
五〇.三%(林)一町九反二畝一三歩
   一九二.四a
四〇町七反四畝二七歩
 四〇七四.九a
花野木一九町 六畝四歩
 一九〇六.一a
九町七反七畝一一歩
 九七七.四a
五一.三%九町二反八畝二三歩
 九二八.八a
四八.七%(林)二町三反四畝一五歩
   二三四.五a
二一町四反 一九歩
 二一四〇.六a
中  丸一三二町六反六畝二七歩
 一三二六六.九a
一六町四反九畝七歩
 一六四九.二a
一二.四%一一六町一反七畝二〇歩
 一一六一七.七a
八七.六%(林)三町三反
   三三〇a
一三五町九反六畝二七歩
 一三五九六.九a
山  中二二町一反五畝六六歩
 二二一五.五a
二町七反五畝一〇歩
 二七五.三a
一二.四%一九町四反 六歩
 一九四〇.二a
八七.六%二二町一反五畝一六歩
 二二一五.五a
本  宿二四町六反八畝二一歩
 二四六八.七a
〇%二四町六反八畝二一歩
 二四六八.七a
一〇〇%           外反別未定草地五九町 八畝二一歩
 五九〇八.七a
宮  内八七町 五畝二五歩
 八七〇五.八a
二九町三反 一四歩
 二九三.五a
三三.七%五七町七反五畝一一歩
 五七七五.四a
六六.三%八七町一反四畝二五歩
 八七一四.八a
東  間四一町五反四畝一七歩
 四一五四.六a
〇%四一町五四反四畝一七歩
 四一五四.六a
一〇〇%(山野)一町五反四畝六歩
   一五四.二a
四三町 八畝二三歩
 四三〇八.八a
深  井八六町八反二畝
 八六八二a
八町二反九畝二六歩
 八二九.九a
九.六%七八町五反二畝四歩
 七八五二.一a
九〇.四%八六町八反二畝
 八六八〇.一a
合  計一〇五六町七反五畝八歩
 一〇五六七五.三a
一四一町九反八畝二四歩
 一四一九八.八a
一三.四%九一四町七反六畝一四歩
 九一四七六.五a
八六.六%一二一〇町八反 二三歩
 一二一〇八〇.八a

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