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北本この人 >> 我が道草人生

一、 商工会長として

昭和三十年頃、村長、田島忠夫氏から「この村も人口が増加し商店も多くなった。商工会でも組織したらどうか。」との勧奨があった。
其処で各地区からの代表者が集り準備作業に入った。処が会長人事で行詰り、感情問題等もあり暫時冷却期間をおくと云うことで沙汰やみとなった。
それから二年許りたって発起人も一変し新しい組織作りに取組むこととなった。
設立委員長には小林栄一、副には、商に細野四郎、工に北沢二郎、総務部長に岡本枩治で着手した。多くの人が待望んでいただけに順調に進んだ。
昭和三十三年秋、商工会は設立された。と同時に県の連合会から入会を勧奨されて加盟した。

商工会長 小林 栄一
副会長 北沢 二郎
副会長 細野 四郎
総務部長 岡本 枩治
其の後、通産省が経済政策の浸透を計る為商工会を大きく改組、在来のものは解散して新規商工会の設立と目まぐるしく変った。
昭和三十四年頃のことであった。組織も変わり経営普及員を置き各戸巡回指導に当る。
その費用は一切通産省から支給されるとのことであった。そこで県連を組織したのが昭和三十五年のことであった。
通産省の補助は一括して県連が扱い町役場を経由しないため、補助金申請にはいろいろと面倒なことがあった。

■商工政治連盟について
商工政治連盟は知事選が作用した事と商工業者の相続税の問題等が政治連盟を必要とし商工業者の政治参加を呼びかけたものである。
それは定款により「特定の政党を支持してはならない」との条文があるためであり別人格で政治連盟は作られたものであった。

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