実録まちづくりにかける集団
第1編 何にも勝る体験学習
カバザクラのクローン栽培昭和六十年五月、岡本枩冶を委員長とする北本市社会教育委員の会は、「桜育成で推進するまちづくりと社会教育の効果的かかわり方」と題する建議書を提出し、カバザクラの樹勢回復とそれによるまちづくりの大切さを提言した。
このことをきっかけとして、社会教育委員の会は積極的な行動に出た。埼玉県林業試験場の協力を得て、昭和六十三年、日本で初めてという「腋芽培養法」による、カバザクラのクローン栽培に取り組み、平成元年待望の「一番苗」三本が北本に移植された。
以後、毎年苗木は増殖され、二番苗・三番苗と次々に、市内各所に後継樹として植樹されている。平成四年ころから、なんとなくこの事業は北本市教育委員会の手に引き継がれた形となった。
平成六年九月十三日、委員長岡本枩治が急逝した。後を引き継いだ工藤日出夫も、岡本に負けず劣らずの活躍をしたが、行政の社会教育委員に対する理不尽な扱いに抗議し、情熱を傾けていた工藤日出夫・平田正昭らも、その数年後社会教育委員の職を辞した。歴史的一大出来事であったはずの「カバザクラのクローン栽培」は、わずかな関係者のみが知る事実として、市民の意識から消されようとしている。
最初に移植された三本の桜のその後は、どうなったのか。一本は、きれいに整備しなおされた北本駅東口広場で、一本は、市北部の寿命院というお寺の境内で毎年美しい花を咲かせている。しかし、残る一本は行方が知れず、生きているのかなくなったのか定かではない。しかし、この事実を知るものは平田のほかにはほとんどいない。
この事業を手がけた当時の社会教育委員の願いは、「北本の新しい農事産業として位置付け、千年咲く長寿の桜を世界に広げよう」という壮大な志であった。しかし、その後を受け継いだ教育委員会では、単なる後継樹つくりというちっぽけなもの封じ込んでしまい、新しい農事産業とはまったく縁の無いものにしてしまった。