北本市の埋蔵文化財

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宮岡氷川神社前遺跡発掘調査報告

早川智明 吉川国男 石井幸雄
岩井住男 土肥 孝

2. 発掘調査日誌

 (1) 第一次発掘調査日誌

昭和44年11月22日(土)霧雨のち曇
現場へ9時25分に到着する。本日の参加者は、発掘担当者1、町文化財保護委員2、教員1、町役場建設課職員2、埼玉大学生1、町教委2の合計9名である。
発掘作業に着手する前に、担当者の吉川氏から、遺跡の概要、発掘の方法等についての説明がある。
作業開始は、9時50分。まず、表面採集を行なう。そして最も濃密に土器片が散布していた吉田氏の建築中の家の向かって右妻のすぐ脇に(軒先から1メートル離して)長さ23.3×幅1.5メートルのAトレンチを設定する。このトレンチは、東西に走り、西から2メートルを区切りに1区から12区までに分ける。
発掘は分層的に行なう。表土は、 砂質土の耕土で15~25センチメートルあり、 その下が30~40センチメートル荒川からの客土の層がある。この層は、灰色を呈する粘質がかった砂層である。そして、第3層目は黒色土で、この層には土器片が多く含まれている。
本日は、終日雨のため作業ははかどらず、1~6区まで、深さ60センチメートルまでを掘りあげる。出土遺物としては、 5・6区において石鏃が5点出土したのをはじめ、安行Ⅱ式、同Ⅲa式土器の破片がある。作業終了16時。
11月23日(日)晴
作業開始9時。昨日に引続いてAトレンチの掘り下げを行なう。地表から85センチメートルまでの深さで押してゆく。
7区より黒色土下層において焼土のひろがりが出てくる。
1.2区においては、80センチメートルの深さでローム層に達したが、 3~9区においてはまだローム層があらわれない。また4~7区にかけては、黒色土の色がとくに濃い。出土遺物も集中的に多い。本日の土器片は昨日のものに比べると、大きいのが目立つ。
主な遺物としては、土製耳飾2点、同破片2点、石鏃2点、石斧2点、シカの骨片1等である。
なお、午後2時からAトレンチの南側へ2.5×1.5メートルのBトレンチを増設した。昨日に比し、風はあるが晴天に恵まれ、作業は効果的に進む。本日の参加者12名。作業終了16時30分。
11月24日 (月)曇り
作業開始9時。Aトレンチの地層(断面)の清掃を行い、地表差が85~100センチメートルあることを認めた。昨日設定した、 Bトレンチに拡張部をつくり、 それをBトレンチとする。 またBトレンチと並行し、Aトレンチの南接部分にCトレンチ(1.5×3.0メートル)を設定。
重要遺物はいずれも黒色土層中より出土するが、Aトレンチからは耳輪2点、鹿骨片、貝がら等である。特にAトレンチ第4区の炉跡周辺からは、磨製石器、土偶、耳輪等、多数の遺物の出土をみた。またBトレンチからは、小手捏土器1点出土。Cトレンチの遺物は、内容よりも数量において他トレンチに類をみない。なお発掘参加者は、11名である。
11月25日(火)晴
作業開始9時10分。Aトレンチ3~5区にかけて、下に10センチメートル掘り下げる。BトレンチとAトレンチの側壁部をくずし、炉跡周辺を延長、拡張する。Cトレンチも掘り下げ、併せて各トレンチの実測を行う。
主な遺物は、Aトレンチから耳輪8点、すり石1点、磨製石器1点、土器完形品2点(A―T―6)等である。Bトレンチからは耳輪1点、石皿1点等であり、Cトレンチは耳輪1点、などである。Aトレンチ3~5区の拡張区からは多数の遺物が出土した。
ここで、今度の発掘は終わり、整地にとりかかり、 4時整地を完了し、全日程を終了することができた。本日の参加者は12名。

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