北本市の埋蔵文化財

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宮岡氷川神社前遺跡発掘調査報告

早川智明 吉川国男 石井幸雄
岩井住男 土肥 孝

2. 発掘調査日誌

 (2) 第二次発掘調査日誌

昭和45年4月4日 (土)曇り
現場到着9時20分。作業開始10時20分。作業開始に先だって、担当者の横川富好氏より遺跡の概要発掘の方法等の説明を受ける。なお参加者は、発掘担当者1名、町教育委員会2名、早稲田大学々生4名である。
表土をブルトーザーで移動する。午前中は杭打ちのみにて終る。ブルトーザー作業中発掘現場中心地点から、磨製石器1点、同破片2点、石鏃1点等出土する。
本日は、天候不順にて小雨となる。重ねることに、雇用したブルトーザーの到着がおくれ、作業は遅々として、はかどらなかった。
4月5日(日)晴
発掘参加者は16名。作業開始9時20分。
先ず、 トレンチをA、B、C、D順に設定し、縄張りをして縦横2mのグリッドを設ける。B~FグリッドBトレンチ~2、4、6区、E~1、3、5、7区の部分発掘より開始し、客土層を取り除き、黒土層を掘り下げる。
主な遺物は、打製石斧1点、礫器1点、石斧1点、発火石1点、石鏃1点、皿形土器片1点、石鏃1点等である。出土遺物包含層(黒土)は、ブルトーザーで掘り下げた面からマイナス20センチ程度で、出土遺物は黒土上面よリマイナス10~20センチメートルに集中することがわかった。
今回はトレンチ掘りでなくグリッド掘りとする。天気良好と、今日から婦人会の参加があり、作業は順調に進行した。
4月6日(月)快晴
参加者数、12名。作業開始9時20分
前日に引き続き各グリッドを掘り下げる。また、F―2・4、6区、G―1・3・5区、D―6区、H―2・4、C―6区、E―6区をそれぞれ新しく設け掘り始めた。
各グリッドは特筆すべき所見をもたなかったが、ただD―6区、E―6、7区より焼土を見出した。
主な遺物は、石鏃4点、耳栓1点、壺底部片1点等であった。
本日、天候快晴にして、作業状態は順調に進行せり。
4月7日(火)曇り
参加者数19名。作業開始9時20分。
前日まで掘り下げてきた各グリッドと並行して、新しくH―2・4・6区、A―7・8区、D―7区を設け、掘り下げることにした。
主な所見について、遺溝を確認するけれど、その遺溝が住居址の周溝となり得るか、否か、いまのところ半別不可能なり。
出土遺物は、石鏃2点、石皿片1点、土偶脚部片1点、浅鉢土器1点、土器片1点、すり石2点、磨製石斧1点等であった。
4月8日(水)晴
参加人員22名。作業開始9時20分。
昨日にひきつづき既掘中の各グリッドの発掘と並行して、H―2・4・6区、A―7・8区、F―8区、D―7区を新規設定し、掘り下げる。2列・4列・6列、C列・E列。G列の層序図をとる。
F―4区の溝の性格を確認するためF―3、F―5、E―4を掘る。E―6、E―7の焼出及びその周辺を精査する。
出土遺物は、耳飾り片1点、硬玉垂飾1点等であった。またF―7・8区、G―7・8区、H―7・8区から住居址らしきピットがあつたが、住居址と断定する確定がない。それと、昨日露見した遺溝は下水用のものか排水用のものか、判別困難なり。
4月9日(木)曇り
参加人員11名。作業開始9時20分。
E―8、G―8区のセクション取り。F―2・3区の掘り下げを行い、溝の精査、焼土及び焼上下土層の精査を並行する。
溝は北西方向に進み、G―2区西壁付近で途切れる。溝の長さは約8mである(実測図参照)。溝の南東すみに焼土があり、溝より浮いた状態をしている。
出土遺物は石鏃3点、土器片等である。発掘終了の見通しがついたので、各グリッド及びピットのセクション図を取り始めることにした。
4月10日(金)曇り
参加人員12名、作業開始9時20分。
先ず、溝の精査、竪穴の検出。Aトレンチ及び9列のセクション取りをやり、溝及び竪穴の測定。
詳しくは、溝はH―1からそのまま北西方向に伸び、道にぶつかる。F―7・8区、南壁セクションでは竪穴が検出されたがF―8区内に入ると消失する。その上層の下部よりピットが見つかり遺構が検出した。この竪穴はピット11本、長軸約2.50メートルの小さなもの。
またAトレンチのセクション観察によると、黄色ローム層のレベルはほとんど変化しないが、ローム漸移層(褐色土層)は東から西へ傾斜する。
出土遺物は石鏃3点、石匙1点、石棒1点等であった。
(石井幸雄)

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