北本市の埋蔵文化財

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宮岡氷川神社前遺跡発掘調査報告

早川智明 吉川国男 石井幸雄
岩井住男 土肥 孝

4. 遺構

 (1) 第一次調査地点の遺構

今回の調査は、 トレンチ方式によるトレンチ内の発掘に限定されたが、そのトレンチにあらわれた遺構としては、つぎのようなものがある。
Aトレンチ第1区の西半分にあらわれたのは、住居跡であろう。地表より深さ80㎝の所に厚さ10㎝の真黒い腐植土があり、この下にはローム層の堅い面がある。このロームの堅い面はおそらく住居跡の床面であると思われる。だとすれば真黒い腐植土は住居跡の覆土ということになる。ここからは縄文後期と思われる厚手の土器片が出土している。

第5図 炉 址

Aトレンチ第3区から9区にかけて、表上の下に黒色上が横たわっていたが、このうち3区から8区にかけて、とくに土の色が黒味を帯びており、安行式土器、土製耳飾、すり石、石斧などが多出した。したがってこの層は安行式期のいわゆる遺物包含層であるが、この下の暗褐色土層からもほぼ同様の遺物が出土している。また7区の暗褐色土層中から検出さされた焼土を掘りあげていったところ、 ローム層を掘りくぼめている炉址となった。
この炉址は、長径230㎝、短形150 ㎝をした略菱形を呈するプランをもち、 ローム層を46㎝掘りくぼめている。底はゆるやかな丸底をしている。炉壁は赤く焼けかたまっており、炉内には焼土が60㎝の厚さにたまっていた。炉址の近くから磨製石斧′土偶破片、石屑多数が発見された。
前述の遺物包含層とこの炉址の関係について追求するため、Bトレンチ、Cトレンチを増設してみた。Bトレンチの道路寄りでは遺物包含層が薄くなっていた。炉址はおそらく住居跡に伴うものであろう。そして、遺物包含層は住居跡の覆土ではあるまいかと思われる。しかし、遺物包含層の下には床面は確認できなかったし、 トレンチ内で壁の立ちあがりは見つからなかった。

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