北本市の埋蔵文化財

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中井1号古墳発掘調査報告

横川好富

6.考察

中井古墳群は現在遺跡地図に示すように8基の古墳の存在を知りうる。このうち2号・6号墳は、すでに開墾により完全に破壊されている。6号墳の石室に使用されていたという緑泥片岩が庭の敷石として、附近の民家で使われている。さらにの一部が水神を祭る石塔の台石として、古墳のあった位置に存在する。附近にはわずかながら埴輪片も散布している。このことから2号墳は埴輪を持つ緑泥片岩を利用した石室を有する古墳であったことが知りうる。3~5号墳は林中にある小規模なもので、分布調査の折、わずかに3片の埴輪片を採集している。
7・8号墳はともに民家の屋敷内にあり、一部削り取られているがヽ高さ約71mほどの墳丘を有する。7号墳は円墳でまちがいないと思うが、 8号墳は東方にわずかに高い部分が続くためあるいは前方後円墳かとも考えられるが、現状でははっきり断定できない。
現在知りうるのはこれら8基のみであるが、土取り工事によって削り取られた他の部分の断面には周堀の一部らしいものがあったり、附近の人々の言によればさらにいくつかの古墳が存在していたらしい。
さて、今回調査した第1号墳には砂質の凝灰岩が使用されていたが、これは比企丘陵に多くみられる石材である。荒川の東岸に位置する本古墳の位置からして荒川を利用して上流の比企丘陵のものが運ばれたものであろう。さらに6号墳の緑泥片岩も秩父地方に産するもので同様に荒川を下って運ばれたものと考える。
凝灰岩を利用した石室をもつ古墳は、隣接する桶川市川田谷古墳群中にもみられ、横穴式石室そのものの形態も類似するところが多い(註1)。おそらく同じ頃の築造になるものであろう。
さらに本古墳のように切石を利用する古墳は一般的に後期古墳も末葉に近いころの築造になるものが多い。鴻巣市宮登古墳(安山岩)(註2)や朝霞市八塚古墳(砂岩)(註3)等も切石を使用したものである。いずれも古墳時代後期末葉に考えられている。本古墳もおそらく同時期の築造であり、 7世紀後半から8世紀はじめのものであろう。
後期古墳中には本古墳のように羨道部のごく型式化され、羨道部としての用を満さないものが応々にみられるが、これらの古墳は後期も末葉の特色ある形態と考えられる。県内では特に荒川流城の古墳に多く認められる。
出土遺物中の埴輪は本古墳の規模や石室の様相に比して、すぎるくらいのものであり、注目されるが、それらがすべて形象埴輪である点も特異な存在と言えよう。また北方の水田をはさんで存在する鴻巣市原馬室の埴輪窯址との関連も考えられる。
周堀の調査は東南部が未調査のままであり、先にも記したように円墳、前方後円墳のいずれであるか断定しえない点残念であるが、これも今後機会があったら解決したい。


1 塩野博「桶川町川田谷城髪山古墳の調査」第3回埼玉県遺跡調査報告会発表要旨 昭和45年1月
2 鴻巣市教育委員会「宮登古墳の発掘」昭和34年3月
3 柳田敏司、早川智明「朝霞町八塚古墳発掘調査報告」埼玉考古第3号 1965年3月

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