石戸蒲ザクラの今昔 Ⅱ 蒲ザクラと渡邉崋山

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Ⅱ 蒲ザクラと渡邉崋山

3 崋山の描いた蒲ザクラ

崋山が馬琴の依頼によって東光寺を訪れたのは、文政二年(一八一九)のことである。崋山が二十五歳の夏で、天下一の画家を志した時期にあたる。
その際に写生した絵は『玄同放言』の挿絵として結実した(第14・16~18図)。蒲ザクラの図は開花の様子を想像して描いたもので、左注の「花はひとへにしてしろしといふ」という記述からも、そのことが知られよう。写生に費やした日数は正確にはわからないが、短時間であることに違いはない。生活の糧として初午燈籠の絵を描く経験の中で磨かれたという、素早く描く技術が発揮されたはずである。
この蒲ザクラの図や第14図の「西木山東光寺圖」では、すでに遠近法を用いていることが注目される。的確な細部の描写は、リアリズムを追及した若き日の崋山の絵画資料として貴重なものといえよう。

第16図 崋山の描いた江戸時代の蒲ザクラ

第17図 崋山の描いた東光寺の石塔群(1)

第18図 崋山の描いた東光寺の石塔群(2)

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