石戸蒲ザクラの今昔 Ⅲ 指定前後の蒲ザクラ

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Ⅲ 指定前後の蒲ザクラ

2 天然記念物指定前後の蒲ザクラ

第24図 郡長への回答書

『庶務部天然紀念物石戸蒲櫻ノ件』は大正十一年から昭和十五年までの公文書綴りで、村役場と北足立郡役所の間で頻繁に文書がやり取りされていることを現代の私たちに伝えてくれる。
天然記念物指定を受ける準備段階として、「写真の提出」「土地調書の提出」「土地所有者の確認」「現況報告」が次々と求められた。書類審査の次は、大日本史蹟名勝天然紀念物調査会調査員の受入である。この調査には三好学博士が来村し、郡役所は村長も現地に立ち会うように指示している。
三好調査員の報告結果を受けて「埋葬のとき根を傷つける可能性があるので墓地の新設は可能か」「お堂が蒲桜に接近しすぎているが移動は可能か」「管理責任者として誰が適任か」などについて、至急検討して回答するよう求められている。回答書には協力は惜しまないが、費用の負担について憂慮する地元の人々の複雑な心境も見え隠れする(第24図)。
人々の努力によってさまざまな条件をクリアし、蒲ザクラは天然記念物指定を受けることになる。
「十月十二日内務省に於いて天然紀念物として指定相成候」。この知らせを受けて地元では、保存にかかわる実務にとりかかることになる。
まずは六十六名からなる保存会を立ち上げた。小林元作会長以下、副会長一名、評議員六名、幹事六名の役員を決めた。十二条からなる保存会規約もできあがり、埼玉県知事堀内秀太郎宛に提出している。また広く寄付を募り、前村長今井虎七を筆頭に四十八名から二八七円が集まっている。それは、石戸村長田島長蔵から保存会長に「寄付金」として届けられた(第25図)。
次の大事業は環境整備である。設計書とその費用案を国に示したところ「適切である」と判断され、事業完成後に請求するようにとの指示を受けている。

第25図 寄付金領収書

事業内容は、➊崩れかけている石垣を二十尺まで広げ、周囲に柵を回す。❷伸びた枝を支える支柱を作る。❸天然記念物を示す標柱を立てる。❹諸注意を書いた看板を立てる、などだった。大正十三年二月二十日、埼玉県知事宛に「立替払請求書 七三四円八十八銭」を書き送っている。


第26図 環境整備のイメージ図



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