石戸蒲ザクラの今昔 Ⅲ 指定前後の蒲ザクラ

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Ⅲ 指定前後の蒲ザクラ

3 日本五大桜となる

「北足立郡石戸村大字石戸宿東光寺境内にある周囲二丈 高さ六間 樹齢六百年を数ふ 花時上尾付近より遠く望めば到底一本の桜と見る能はず」
これは大正六年に東京日日新聞に掲載された蒲ザクラの記事である。おそらく上尾・桶川・北本・鴻巣を結ぶ荒川沿いの古い街道から見た光景だと思われる。桶川市川田谷の人々も「春になると蒲ザクラは遠くに白い小山のように見えた」と語っている。いかに大きく見事な桜であったかが想像できる。
大正十二年二月 北足立郡役所 石户村長
貴村蒲桜天然紀念物(中略)之ガ保存施設ニ関シ篤卜御協議致度儀有之 来ル十三日本県ヨリ係員役場へ出張致候ニ付貴職並堀ノ内区長貴役場ニ待チ居ル様御取計相成度

先の史料からは、二年という時間を要した環境整備事業が石戸村という枠を超えた大事業だったことがわかるだろう。
次の史料は、後に「日本五大桜」といわれる巨桜がリストアップされ、各県知事宛に最終確認を促す文書である。
大正十一年五月十七日
 内務省地理課長発
 埼玉・静岡・山梨・岐阜・福島県知事宛
左記の樹木は天然紀念物として指定の見込に候所御意見無之哉
北足立郡石户村の蒲桜(埼玉)
富士郡白糸村の下馬桜(静岡)
北巨摩郡新富村の神代桜(山梨)
本巣郡根尾村の薄墨桜(岐阜)
田村郡中郷村の滝桜(福島)

第27図 三好博士宛の招待状

第28図 蒲ザクラを見学する児童


第29図 「蒲桜周辺環境整備完成竣工式」記念写真

(大正13年4月14日:石戸小学校蔵)

大正十三年四月十四日、「蒲桜周辺環境整備完成竣工式」が郡長や三好博士の臨席を仰いで盛大に催された(第27図)。この日の様子は、翌日の東京日日新聞に「名木蒲桜、今日此頃が見頃 内務省から七百余円 設備竣工式典十四日挙行」と報じられている。
その際、蒲ザクラを背に出席者の集合写真が撮影された。写真の注文者の中には石戸小学校長池田巳之吉の名もある。八十年以上過ぎた今も、この写真は石戸小学校に大切に保管されている(第29図)。また封筒に「國寳」と銘打った絵葉書(第30~32図)が作成されたのもこのときであろう。
式ノ順序
第一鈴 会員着席
第二鈴 来賓着席
一 開会ノ辞
二 知事ノ告辞
三 郡長ノ祝辞
四 村長ノ祝辞
五 来賓ノ祝辞
六 謝辞
七 閉会ヲ告グ
第三鈴 来賓退席
第四鈴 会員退席
  以上中食

第30図 絵葉書の封筒

第31図 指定後の絵葉書(1)


第32図 指定後の絵葉書(2)


大正十三年当時の蒲ザクラが、花見客を集めていた一例を紹介しよう。記念式典の六日後、四月二十日に蒲ザクラを見物に来た川島つゆの「蒲櫻行」(『武蔵野』第七巻三号)からの引用である。「桶川の町を出て長い雑木林の下道を行き、雑木を捨てて耕地に出て 、耕地を捨てて又雑木林に入りつつ(中略)櫻、梨、李等の白花がところどころに照在して居る。この辺は桐苗芋苗の産地と見えた。
蒲桜に近く、ところどころに立つ石戸村青年会の道しるべをゆかしいものに思った。
樹齢七百年、周囲三丈五尺という蒲桜は残り無く散っていたが、桜を取巻く数基の墓石から湿った土一面にへばりついている薄紅の花びらを見ても、花の盛りの下明かりを思わせるものがあった。(中略)
樹下の阿弥陀堂の破れた縁に白髪を染めた婆が駄菓子と麦酒を売っていた。一行よりも先に二三の観光客があった。ゆで玉子はもうおしまいになりましたと言う(後略)」。

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