石戸蒲ザクラの今昔 Ⅳ 蒲ザクラの衰えと保全

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Ⅳ 蒲ザクラの衰えと保全

コラム④ 水上勉と蒲ザクラ

『櫻守』の表紙(新潮文庫)

福井県生まれの作家水上勉(一九一九―二〇〇四)は、大工の家に生まれ、十代で禅寺を出た後、 さまざまな職業を遍歴したといわれています。そして昭和三十六年(一九六一)に『雁の寺』で第四五回直木賞の受賞を機に作家としての地歩を固め、その後の華々しい創作活動は述べるまでもないでしょう。
水上氏の小説の中に『櫻守』という作品があります。桜をこよなく愛したという水上氏ならではの小説で、あらすじは日本古来の山桜の保全に情熱を注ぐ竹部・弥吉という二人の桜守を主人公とし、 荘川桜の移植の他、根接ぎの話、各地の桜のエピソードなどが紹介されたものとなっています。
さて、この小説の中で主人公の竹部は、諸国の名桜を見て歩き、天然記念物に指定された老桜の多くが衰えている現実に気づくのですが、「これのいちばんええたとえが、石戸の蒲桜ですわ……」
「(前略)天然記念物にされた木ィはめいわくで、かりに自動車でやってきた観光さんが、 そこで花をいくら眺めてくれても、 木ィは排気ガスで泣いてます。石戸の蒲桜は、周囲をみかげ石で囲まれ、 せっかくのばそうと思う根ェも張れんぐらいにしばられてます。」と蒲ザクラの保全環境を痛烈に批判する一節があり、水上氏の思いを竹部に語らせているのです。
水上氏の指摘どおり、蒲ザクラの樹勢が衰えていった事実は、大変残念なことでありますが、昭和五十六年にはこの問題と指摘された石垣は撤去され、その後は文化庁の指導のもと、たび重なる樹勢回復の手立てが施され、現在にいたっているのです。

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