北本のむかしといま Ⅱ 狩りから稲づくりへ
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Ⅱ狩りから稲づくりへ
1 赤土の文化
北本の遺跡市内にある旧石器時代の遺跡は、八重塚(やえづか)遺跡・諏訪山南(すわやまみなみ)遺跡・提灯木山(ちょうちんぎやま)遺跡の三つが確認されている。八重塚遺跡(荒井)は、東・北・西の三方が谷津に囲まれた台地の上にある。ここは、近くには八重塚古墳群や堀ノ内館跡があり、市内でも遺跡が集中している所である。時期的にも、旧石器時代から縄文(じょうもん)・弥生(やよい)・古墳(こふん)時代、さらに中・近世期にまでいたる複合遺跡である。ここからは、黒曜石(こくようせき)のナイフ形石器・尖頭器・礫群などが出土している(写真13)。

写真13 八重塚遺跡から出土した石器
①ナイフ形石器 ②③④尖頭器 ⑤⑥⑦剥片接合 左から(表面・側面・裏面)
図7 旧石器時代の八重塚遺跡周辺の想像図(高橋萌弥作)

諏訪山南遺跡(石戸宿)は、八重塚遺跡と同様に三方を谷に囲まれた台地上にある。ここでも、黒曜石のナイフ形石器が出土した。黒曜石は県内周辺では産出しない。どこからか運ばれてきたのである。北本の旧石器人が、すでに他の地域と交流をもっていたことが分かる。
提灯木山遺跡(二ツ家・中丸・桶川市加納)は、他の遺跡にくらべて台地の内部に位置しているのが特徴である。ここからは昭和六十三年(一九八八)に、旧石器時代のユニット四か所・礫群五か所のほか、縄文時代中期の住居跡七軒が検出され、大宮台地北部を代表する遺跡となった。さらに、平成三年(一九九一)には、南側に新たに二つのユニットが発見された。ここの石器は、異なる時期にわたっている。このことは、ここが長い間にわたって旧石器人が好む何らかの環境が保たれていたということである。理由は謎(なぞ)である。