北本の屋敷神 北本の屋敷神
第2章 北本の屋敷神
第3節 祭神の勧請
「熊野権現」の勧請には中世にまで遡れるものがありそうだ。応永十五年(一四〇八)十二月二日の紀年銘のある大里郡折原村(現寄居町)婆羅門社の懸仏に「武州足立郡石戸郷下法師谷村」とあり沙弥妙伏が奉納している(「武蔵銘記集」)。室町期と推定される米良文書の旦那引付注文写に「武蔵足立郡石戸郷伊藤兵庫、同郷伊藤二郎、 同郷飯野孫七郎、同郷新井神二郎、同郷彦三郎。…石戸郷真如坊。…石戸郷真輪寺」の名がみえる。紀伊の国の那智熊野の御師が石戸郷の同族組織の長を旦那として把握していた様子がうかがえる。又、熊野那智大社文書には、 応永二年(一四六八)三月五日、ふかい(深井)一円の旦那職に関する記事がある。
「新記」、「武蔵国郡村誌」では、市内の「熊野権現」の所在を荒井村枝郷北袋村の地蔵院持ちのものと、 下中丸村とのニヶ所としている。
屋敷神としての熊野権現(「オクマン様」と呼ばれることが多い。)を祭る家は市内に四軒しかない(内一軒は近代になってのものである)。石戸宿の鈴木英安家(石戸宿—18)はその一で、先祖は紀州から来たと伝えている。前述した石戸郷での御師と旦那の盛んな動きに関係があるのかもしれない。数度の火災で文書類のほとんどは失なわれ、関係文書は伝えられてない。今日、同家で伝える文書のうち最古の日付のものは天正元年のものであるという。中丸三丁目の小川栄一家(北中丸ー3)は、戦国時代に岩槻の小川兵庫守という侍が戦さに負けて逃げ込んだという伝承を持つ。同家の熊野権現はかつては母屋より東方三百メートルの場所にあった。そこまでは同家の土地であった。朝日二丁目の長谷川清家(常光別所ー11)は、 この近隣きっての古い家といわれ、 屋敷神は雨屋の中に板葺屋根の大きな神屋を持ち「オクマン様かもしれない」という。小川・長谷川両家共に旦那職にふさわしい土豪層ともいうべき家であった。この二軒は中世深井にみられる旦那との関係もあったかもしれないが、地理的に南下谷村(現鴻巣市)の熊野権現社の修験の活動によるものかもしれない。「新記」によれば「(南下谷村の熊野権現社は)大同年中(八〇六~〇九)の勧請と云、 天正十一年の鰐口をかく、日本一大両権現武州上足立下谷宮と彫る。‥‥‥隣村別所村(現北本市朝日)鯉沼と云所に古一の鳥居有と云。」又、南下谷村には本山修験の「大行院」があり、「新記」に「往古は上足立三十三郷を支配して年中行事職たり‥‥‥」とある。北本市域の東縁の村々が、これらの修験の盛んな活動下にあったことは十分考慮して良いと思う。

熊野権現社〔石戸宿ー18〕

熊野権現社〔北中丸ー3〕

熊野権現社〔常光別所ー11〕
「八幡」の勧請も古そうだ。
「新記」は北本市域の村々の「旧家」を三家記している。共に武家出身である。その一つは、「上宮内村(現宮内)の彦兵衛」の大島氏(宮内ー26)で、天正十八年大島大炊介ら五人に帰農を命じている中世文書二点を伝えている。現在の屋敷神の祭神は「八幡・諏訪・弁財天・金山権現」である。二は、「高尾村(現高尾)の善次郎」の新井氏(高尾ー75)で、今日「菊地新井」と呼ばれ、先祖は菊地豊前、詳らかでないが天文年中よりこの地に住むという。現在の屋敷神の祭神は「八幡・稲荷」で、八幡社はかつて二九四坪の社地をもっていた(明治の末、村社に合祀)。三は「下中丸(中丸)の幸左衛門」の加藤氏で鴻巣七騎の一であったが、この屋敷神は稲荷である。大島・新井の八幡社に年代を確定する資料はない。

八幡社〔高尾ー75〕
江戸で十八世紀末におこった稲荷流行はどのように北本市域の村々に伝わったかはわからない。
市内の屋敷神で祭り始めの紀年の確実なものは江戸時代に三十三例ある。
石戸宿で、「荒神」の石碑が天明四年(一七八四)から元治元年(一八五四)の七十年間に七基確認できる。石戸宿の「荒神」の総数十六基の約半数だが、全市域の「荒神」総数二十四基の三分の二が集中している事を考えると幕末の半世紀の間にかなり熱心な修験等の活躍があって急速に増加したのではないかと考えられる。
石刻された「紀年」は、幕末から一九〇〇年までほとんど姿を消す。これは他の市町村も同様の傾向にある。
〔表ー4〕「屋敷神石刻紀年」
1. | 享保2年(1717) | 八幡 | (東間ー48) |
2. | 寛保3年(1743) | 八幡 | (石戸宿ー73) |
3. | 延享4年(1747) | ? | (石戸宿ー34) |
4. | 宝暦5年(1755) | 第六天 | (東間ー20) |
5. | 明和元年(1764) | ? | (下石戸上ー8) |
6. | 安永8年(1778) | 八幡 | (深井ー42) |
7. | 天明4年(1784) | 荒神 | (石戸宿ー43) |
8. | 寛政9年(1797) | 荒神 | (石戸宿ー4) |
9. | 寛政9年(1797) | 荒神 | (石戸宿ー103) |
10. | 享和2年(1802) | ? | (石戸宿ー10) |
11. | 享和2年(1802) | 八幡 | (宮内ー 25) |
12. | 文化10年(1813) | 神明若宮(再建) | (古市場ー7) |
13. | 文化12年(1815) | 弁財天 | (石戸宿ー23) |
14. | 文化14年(1817) | 荒神 | (石戸宿ー45) |
15. | 文化14年(1817) | 稲荷 | (石戸宿ー83) |
16. | 文化15年(1818) | 荒神 | (石戸宿ー47) |
17. | 文政8年(1825) | 若宮八播 | (石戸宿ー88) |
18. | 文政9年(1826) | ? | (石戸宿ー1) |
19. | 文政9年(1826) | 愛宕 | (石戸宿ー4) |
20. | 文政11年(1828) | 稲荷荒神 | (石戸宿ー51) |
21. | 文政12年(1829) | ? | (高尾一100) |
22. | 天保元年(1830) | 稲荷 | (石戸宿一52) |
23. | 天保10年(1839) | 若宮八幡 | (常光別所ー6) |
24. | 天保10年(1839) | 稲荷 | (宮内一22) |
25. | 天保14年(1843) | ・八幡 | (石戸宿ー90) |
26. | 天保14年(1843) | 八幡 | (荒井一43) |
27. | 天保14年(1843) | 神明 | (宮内一22) |
28. | 嘉永元年(1850) | 荒神 | (石戸宿一44) |
29. | 嘉永2年(1851) | 八幡 | (宮内一22) |
30. | 嘉永7年(1854) | 八幡再建棟札 | (深井一28) |
31. | 安政5年(1858) | 観世音 | (石戸宿一83) |
32. | 元治元年(1864) | 八幡 | (石戸宿ー7 ) |
33. | 元治2年(1865) | 諏訪 | (荒井一82) |
荒井の新井秀男家(荒井ー22)の屋敷神は「霧島」社で、屋敷の南西に祭られている。三点の文書を伝える。一つは「卯正月八日、正一位霧島三所大権現」発行の「證状」、他は「弘化四丁末年(一八四七)七月二十一日、濃州関町、通二丁目、亀屋源三郎、重信」発行の「覚」(上掲、写真と釈文)と、虫封じの「霧島山御真言」である。最近同家で霧島大社に参り、この文書につき尋ねたところ、百年程前十人の者が布教活動に出たが帰ってきた者は一人であった、ということがあり、これはこの文書と符合するものだと教えられたという。なお、市内には屋敷神以外にも霧島社は他に例がない。

霧島社〔荒井ー22〕

霧島社文書
残置候一札之覚
薩摩国都之城ニ在ス
正一位霧嶋三所大権現
永代御守一幅此家ニ
奉残置候御祭礼年ニ三日
正月八日 五月二十八日 九月十八日
御山別当大覚山
西神寺
本場御役所
弘化四丁末年七月二十一日
右之通御祭日ニは鳥之
はねを火にくへるべからす
濃州関町
通弐丁目
亀屋 源三郎
重信


森谷稲荷文書〔下石戸上ー29〕
正一位稲荷大明神安鎮之事
右於本宮雖為奥秘因懇望
神事令修行奉勧遷
大明神於其清地武州足立郡下石戸村
大吉志願也
齋場矣無怠祭祀於尊信者
豊饒万福可有守護者仍如件
惣本宮神主
元治二年四月豊日 従三位親典

南無妙法蓮華経氏神弁財天〔常光別所ー28〕
昭和に入り台地の東側では日蓮宗の信仰が盛んになり、その影響で、「弁財天」が屋敷神として祭り込まれることが多くなったようだ。「菖蒲町小林の妙福寺の下寺の坊さんは、千葉の中山で百日間の荒行をした人で、祈禱によく来てくれた。」「東間の地蔵様んちは、ドンドコドンのうちとも言うが、戦前までは施餓鬼もし、小百人も集まった。」「山中の八幡様んちは日蓮宗の修練道場だった。」「宮内にもよく太鼓をたたいてお経をあげるうちがあった。うちの方(深井八丁目)のしょうにん様は鴻巣の人だった。」朝日四丁目には「南無妙法蓮華経氏神弁財天」(常光別所ー28)と石刻されている例がある。古市場には「明徳大弁財尊天守護修、昭和七年十月三十一日」(古市場ー17)の墨書された木礼、傍に日蓮座像を納めている例がある。
敗戦により神社神道が国教としての地位を失ったのちも、 屋敷神を新たに祭りはじめる家も幾らかはあった。過去十五年ほどは、屋敷神信仰の歴史から言えばちょっとしたブームかもしれない。母屋の新築に伴い、既存の屋敷神は必ずといって良いほどピカピカの銅板葺のお宮に作り替えている。納屋等の附属の古い建物を壊したあと、屋敷をこぎれいにし新たに屋敷神を祭りはじめる家も少なくない。農家に限らず北本駅周辺の市街地でも祭りはじめる家がぼつぼつある。ビルの屋上にも新設されている。