北本のむかしばなし くらしをつたえる話

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切りかぶはだれのもの

今ではだいぶ少なくなりましたが、大宮台地にある北本には、雑木林ぞうきばやしが広がっていました。雑木林は、食物しょくもつをにたきするねんりょうを取ったり、作物のたいひを作る落ち葉をかいたり、開こんして畑にするなど大事な場所でした。戦中せんちゅう・戦後の食糧難しょくりょうなんの時代には、さかんに山起こしが行われました。山を開こんして畑にすることを山起こしといいました。

山起こしは、農作業のひまな冬の仕事で、山の木をきり、クロクワという大きなクワとトウグワで木の根をほり起こして、畑にしました。山持ちが自分の山を開こんするほか、畑の少ない人がよその人の山をかりて開こんして小作することもありました。開こんした山の年貢ねんぐ(明治以後めいじいご小作料こさくりょう)は三年間はただで、四年目からおさめることになっていました。
山に生えていたナラやクヌギの木は、マキにして売りました。北本では、マキの代金は山主のものですが、木をきったあとの切りかぶは山を起こした人がもらうという決まりでした。鴻巣市の笠原かさはら常光じょうこうあたりの水田地帯すいでんちたいは、マキが不足ふそくするため、そのあたりの人びとが切り株をねんりょうとしてよろこんで買っていきました。
山を開こんしてできた畑には、最初さいしょはオカボを作り、そのあとに小麦を作りました。

(1)小作………地主から土地をかりて農業をすること。小作料こさくりょうは、取れた米や麦などからおさめた。
(2)山主………山の所有者。

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