北本のむかしばなし くらしをつたえる話

社会1 >> 北本のむかしばなし >> くらしをつたえる話 >>

田植えをしない米作り

初夏しょか になると、市内のあちらこちらで田植えの風景ふうけいが見られます。今では、ほとんどの農家が田植えきかいで植えています。その前は、曲がらないようになわをはって、数株すうかぶずつ手で植えていました。なえ取りや田植えの仕事は、いちどきに大勢おおぜいの人手がひつようなのでたいへんでした。
ところで、みなさんは稲作いなさくといえば、かならず田植えをするものと思ってはいませんか。
北本では、戦前せんぜんは田植えをしない稲作も行われていました。そのころの北本の水田すいでんは、荒川あらかわの東がわや赤堀川あかぼりがわぞいのひくい土地、それに北本中学校の東がわや北本団地だんちのあたりなどの、台地の谷あいのひくい場所(谷津やつ谷地やち) にわずかばかりあるだけでした。これらの水田のほとんどは、台地のわき水がたまり、一年中水びたしのドブッ田(湿田しつでん)でした。
ドブッ田は水がつめたくて、田植えをしても株分かれがしにくく、いねの成長せいちょうがおそくなりがちでした。また、農家の人が田に入るともぐってしまい、田植えがむずかしかったのです。そこでなわしろでなえを育てて田植えをするのではなくて、じかまきのツミ田という方法ほうほうでいねを作りました。たねもみをたいひや人糞じんぷんはいなどのひりょうとまぜてちょくせつまくのです。

ドブッ田では体がもぐってしまうので、田の中に入れたまつのまるたの上をさぐりながら歩いて作業をしたり、 カンジキとよぶ田げたをはいて田舟たぶねを使い、いねかりをしました。ツミ田は、養蚕ようさんや麦かりでいそがしい時に田植えをしないですみますが、夏の草取りはたいへんだったようです。
北本では、水田すいでんの不足をおぎなうため、畑でもいねを作りました。これをオカボといいます。オカボは日照ひでりに弱く、かんばつにあうとすぐだめになりました。そのため、日照りがつづくと雨ごいをしたりしました。
げんざいのように水田がふえたのは、戦後井戸せんごいどをほって動力ポンプで地下水をくみあげて畑に入れ、畑を田にすることができるようになってからです。

(1)オカポ……陸稲りくとう。畑で作るいね。地元の人の発音では「オカブ」とも聞こえる。

<< 前のページに戻る