北本市史 通史編 自然

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第2章 北本の地質

第2節 北本市域の洪積層

2 関東ローム層の堆積と洪積台地

市域に広く展開する台地には、関東ローム層と呼ばれる洪積世の火山灰が厚く堆積する。この火山灰は、主に箱根や富士山・浅間山など周辺火山から卓越西風に乗って飛来し降下堆積したもので、長い間の風化と酸化作用によって黄褐色(おうかっしょく)の土壌に変化してきた。
市域に広がる台地は、火山灰の層厚や給源を異にし、高尾・荒井・石戸宿付近の海抜三〇メートルに達する高位台地面(下末吉面)と市域北東部から東部に至る低位台地面(武蔵野面)とに区分できる。
大宮台地で最高海抜高度にある市域西部の髙位台地面は、鳩ヶ谷付近とともに最も早くから陸化して発達したもので、下末吉(しもすえよし)口ーム層・武蔵野ローム層・立川ロー厶層・大里ローム層の各層を合わせて約六メートルも堆積している。
下末吉面にあたる北袋・荒井付近の台地の崖(露頭(ろとう))では、火山灰質の古砂丘(硬砂層(かたずなそう)・自然Pーー)を覆(おお)って箱根火山から到達したクリヨウカン軽石Kup(六万年前より古く七万年前より新しい・自然P ーニ)や、チョコ帯と称される黒褐色の割れ目(クラック帯)を伴う下末吉上部層の堆積する様子が確認できる。
下末吉上部層のクラック帯のさらに上位には、四万九〇〇〇年前ごろに箱根火山から到達した東京軽石(TP)(才レンジ色をした軽石で武蔵野口ー厶層の最も重要な鍵層(かぎそう)となっている)が口ーム層中にレンズ状に散在しているのがみられる。
東京軽石(TP)は、武蔵野台地では一〇~二〇センチメートルの厚さで良好に連続するが、市域はその分布北限に近いためにー~三センチメートルの薄いレンズ状の堆積を認めるにすぎず、一見その判別はつきにくい。
荒井(城中(じょうちゅう))付近では、武蔵野ローム層を覆って立川ローム層と薄層の大里ローム層が堆積する状況を観察できる。武蔵野台地や大宮台地南部で二?三枚を数える明瞭(めいりょう)な暗色帯は、市域では立川ローム層と大里ローム層との境界と考えられる最上位の一枚しか確認できない。
武蔵野ローム層と立川ローム層、立川ローム層と大里ローム圄などの境をなす暗色帯は、降灰の長い休止期か降灰の堆積速度が極めて遅い時期に火山灰の風化や粘土化が進行し、そこにススキなどの植物腐植が多量に集積して発達した古土壌(化石土壌)であると考えられている。

図18 北本市高尾付近(中井)の台地の露頭

(『市史自然』P16より引用)

図19 北本市石戸宿付近(桜堤・城山)の台地の露頭

(『市史自然』P16より引用)


大宮台地や埼玉県北西部に広く分布し両輝石(りょうきせき)(シソ坤石・普通輝石)に富む大里ローム層は、浅間山の噴火にその起源が求められ北部に厚く南部に薄く堆積している。当時の大宮台地は、富士火山よりも浅間火山の影響が強い状態にあったことや大里口 ーム層は洪積世と沖積世の時代的境界に相当することが知られている(堀口 ・ ー九七八)。
市域の高位台地面では、大里ロ ーム層下位の暗色帯直上に広域テフラ(本編P ーニ参照)と始良(あいら)Tn火山灰(二万二〇〇〇年前ころに鹿児島県始良カルデラから噴出し、遠く青森まで降下堆積した)が検出され(自然P四四)、大里ロ ーム最上部には淡色黒ボク土 (自然P四五)の発達も認められる。
高尾・城中(じょうちゅう)の台地表圈には、数十センチメートルほどの厚さでヤド口と呼・はれる荒川の氾濫堆積土(はんらんたいせきど)が客土されている。ヤド口を荒川から運びあげ台地上に客土(きゃくど)することをドロッケといい、明治・大正時代に盛んにこの作業が繰り返され、火山灰土壌のリン酸欠乏(けつぼう)をおぎない土壌改良が進んだ。
ドロッケの地域は吉川(ー九七五)によって、市域を中心にして荒川沿いの台地上南北一五キロメートル、東西二キロ メートルに及び北は鴻巣から南は大宮にまで至ることが明らかにされている。

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