北本市史 通史編 原始

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第2章 豊かな自然と共に

第4節 集落をつくる

住居の変遷
竪穴住居は、旧石器時代末にそれらしい遣構が長野県の駒形遺跡(こまがたいせき)で調査されている。しかし、たった一例であり、偶発的に調査された例である。縄文時代になると、住居跡が見つかり始める。住居は時期によって形態が変化している。特徴を把握しやすい平面形で大宮台地での住居跡の変遷(へんせん)をみてみよう。
草創期(そうそうき)の住居跡は発見されていない。
早期になると住居跡の発見例が増える。方形もあるが概(おおむ)ね円形を基本とし、面積は関東地方では平均ー四・二平方メートルである。土器や石器が多量に出土する遣跡でも住居跡を発見できないこともあり、まだ住居を作ることが普遍化(ふへんか)していなかった。
前期になると大概は住居跡が見つかるようになる。初頭は方形、中葉は長方形、末葉は方形となっている。とくに中葉の住居には壁柱穴と呼ぶ小さな穴が壁の直下に巡るのが特徴である。面積は早期より広くなり、平均ニー・六平方メートルである。
中期の前半は円形が多く、楕円形が少しある。後半は円形、楕円形に加えて隅丸方形がでてくる。後半は出入口が明瞭(めいりょう)になる傾向がある。末葉には出入口が外部に伸び、柄鏡形住居(えかがみがたじゅうきょ)と呼ばれるタイプがでてくる。面積は平均二〇・五平方メートルである。
後期は前半が中期末と同傾向で、円形と柄鏡形が多く発見されている。後半は発見例が激減するが、長方形を主としている。面積は平均三二・八平方メートルと前・中期より広い。
晩期はさらに発見例が乏(とぼ)しい。方形が主で、平均面積は後期と大差ないが、一辺が七メートルを超える大型の住居がまれに発見される。
上屋の形態を推定復原すると、円形と楕円形タイプは先端が尖(とが)った円錐形(えんすいけい)となり、方形と長方形の系統では切妻形(きりづまがた)、隅丸方形の場合は入母屋風(いりもやふう)である。

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