北本市史 通史編 現代

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第1章 戦後復興期の北本

第3節 食糧増産時代の北本

1 農地改革の推進と農村民主化

農地改革と農地報償金
昭和四十年六月、政府は世論の動向を勘案(かんあん)して農地改革における農地被買収者に対し その受けた心理的影響を考慮して、これらの人たちに報償(ほうしょう)を行うことになった。そのために作られた法律が「農地被買収者等に対する給付金の支給に関する法律」であった。これに該当する旧地主は、被買収面積から売渡しを受けた面積の差が一畝(せ)以上であること、受給資格者は被買収者もしくはその遺族(一名)であった。
給付金額は一反未満が一万円、以後面積の増大に応じて報償額も大きくなるが、単位面積当たりの報償額は低下し、総額一〇〇万円を超えた場合はここで打ち切りとなる。北本の場合、報償額が二万円を超えた人は七十九名、最高は七十二万円であった。高度成長経済の展開に伴う地価水準の著しい上昇傾向の中でのこの報償額は、まさに心理的意味の範囲に留まるものであった。それでも戦後史にひとつの区切りをつけたという歴史的意義だけは、認めることができるだろう。
なお、報償金受給に関する申請書から北本の旧地主たちを解放農地規模別に分類すると、在村・不在を合計した申請者二六五名中、〇.五町歩未満が半数近く(一ニ四名)を占めて最も多く、以下、〇.五~一町歩未満が四十四名、一~三町歩未満が六十二名、三~五町歩未満が十八名、五~十町歩未満が十名、十町歩以上が七名となっている。これを隣接桶川市と比較した場合、加納地区で十七町歩を筆頭に十町歩台が三名、桶川地区〇、川田谷地区不明という状況からみて、三十二町歩地主を筆頭(ひっとう)とする北本の方が、相対的に大規模地主が多く存在していたことは確かである。当然、大規模地主数が多いことは、算術的に、それだけ北本の農地改革は、桶川の場合より高い割合で自作農を創り出したことになるわけである。

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