北本市史 通史編 現代

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第1章 戦後復興期の北本

第3節 食糧増産時代の北本

8 室とさつまいも

室とさつまいも

写真11 室の内部 平成3年 荒井

大宮台地の北部に位置する北本市は、かつて日本有数の畑作地帯として知られていた。それは台地に関東口ームと呼ぶ火山灰に由来する土壌(いわゆる火山灰土壌)が広く分布するからである。火山灰土壌地域には、麦(冬作)やさつまいも(夏作)などの畑作や梨などの果樹園が営まれていた。火山灰土壌は化学的特性に関しては必ずしも良好でないが、腐植(ふしょく)に富み粗(そ)しょうでボクボクしており、透水性(とうすいせい)が良くかつまた水持ちも良いので、さつまいも栽培に適した士壌である。しかもメキシコを原産地とする熱帯性のさつまいもは、日本の夏季気候に適合する作物のため、かつて本市においても広くさつまいも畑があった。本市においていつごろから栽培が始められていたか詳細は不明であるが、少なくとも江戸時代、すなわち享保(きょうほ)年間(十ハ世紀中ごろ)以降にさかのぼり得ようか。他の作物に比較し気候の影響をあまり受けず安定した収穫が可能なさつまいもは、たび重なる飢饉(ききん)を契機としてその生産量は増加し、当時から貴重な商品作物であった。明治にはいってからも髙崎線の開通(明治十六年)、北本宿駅(現北本駅)の開設(昭和三年)にともない東北及び北陸方面に販路が拡大され、さらに戦後の食糧難時代を迎え、さつまいもは増産の一途をたどった。
さつまいもの収穫は十月ごろで、その多くはこの時期に市場に出荷される。一部は室(むろ)と呼ぶ穴蔵(あなぐら)に保存し順次出荷する。さつまいもはもともと熱帯性のため寒さに弱い作物で、十度以下になったり霜にあたると腐る性質がある。他方、高温になると発芽してしまう。また乾燥した空気中においても質が低下してしまう。これらの環境から、さつまいもを守り保存するため、室と呼ばれるさつまいも貯蔵庫、穴蔵が昔から市内各所につくられた。

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