北本市史 通史編 現代

全般 >> 北本市史 >> 通史編 >> 現代

第1章 戦後復興期の北本

第5節 在方町から衛星都市へ

2 商店の推移・分布と「街の商店・村の商店」

北本宿商店会の発足と北本町商工会の活動
昭和三十四年二月、北本宿駅前通り及び中山道を中心とする商店街の形成を背景として北本宿商店会が発足する(現代NO一〇八)。高度成長期直前のまさに時代の流れを先取りしたようなグッドタイミングな商店会発足であった。商店街の発展と足並みをそろえるように商店会の組織は大きくなり、活動も活発化していった。このため北本宿商店会は、昭和三十六年二月に北本町商工会へと改称し、発展的解消を遂げることになる。
昭和四十三年度の北本町商工会の事業報告書をみると、補助事業としての経営指導員による経営、税務、金融などの問題に関する巡回指導(指導件数八四二件)、大宮公共職業安定所、大宮労働基準監督署、大宮税務署、大宮社会保険事務所、税理士、中小企業診断員などを招いての講習会の開催(一八回、受講者延五五九名)、国民金融公庫ほかからの金融(あっせん)斡旋(四九件)をはじめアンケートの実施など、さまざまの角度から経営環境の変化に対応した経営指導がすすめられた(現代NO.一〇九・ 一一〇)。
このほかに恒例の事業として年末福引売出し(十二月十三~十五日、加盟八六店)、永年勤続従業員の表彰(受賞者五年勤続七〇名、一〇年勤続七名、一五年勤続四名、二〇年以上勤続松野直子・関みん)、商店コンクール(町長賞・岩下薬局、町議会議長賞・いづみ洋品店、商工会長賞・野原菓子店)、投市(十月十五日、北本宿天神社境内、参加商店一ニ)などが多くの商店、町民の参加のもとに盛大に行われた(現代NO.一一〇)。
なお、昭和四十三年当時の北本町商工会の会員は個人二七六、法人一三六で、これを地区別にみると中山道通り(三八)、駅前通り(五三)、三軒茶屋(さんげんじゃや)通り(四七)、中丸小学校通り(四三)、解脱会役場通り(七三)、石戸中部(三六)をはじめ北中丸、南中山道通り、石戸南部、石戸北部、深井などがこれらに続く商業区を形づくっていた。その後、市域の順調な発展に合わせて商工会の会員数も増加し、平成三年三月末日現在、個人会員五四四、法人会員四四六と大幅な増加を遂げている。

<< 前のページに戻る