北本市史 通史編 現代

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第2章 都市化から安定成長へ

第6節 都市化と変貌する北本

3 衛生施設の近代化と福祉活動

中央保育所の設置
高度経済成長は日本の経済力を飛躍的に高める一方、国民の生活も豊かなものとした。高度成長の絶頂期である昭和四十年代前半、埼玉県での都市化は急激に進み、生活の近代化がもたらされた。同時に、豊かな暮らし、生きがいを求めての婦人の職場進出が強まってきたのもこのころからであった。このような情況を背景に婦人の地位向上をめざし県や市町村では保育所の設置を重要な課題として取りあげることとなつた。
北本では同四十四年、新日本婦人の会・保育所をつくる会が中心となり、次のような請願が行われた。
町立保育所設置につき請願(抜すい)
件名によりまして直ちに御理解頂けることと思いますが、最近に於ける物価値上げ、交通災害、教育の反動化、職業病、有害食品等の諸問題が深刻の度を加えっゝある現況にあって、保育所の設置は時代の強い要求となってまいりました。
婦人の地位向上及び働く婦人のためにも是非北本町に、町立保育所開設を実現して頂きたく思います。次の時代を担う子供達を少しでもよりよい環境で育てるためにも保育所は必要であると思います。
斉藤町長殿も去る九月議会に於いてこの点は同意見である事を表明されました。
昭和四十五年度予算の編成期も間近い様にきいております。私達の要望であり、時代の要求でもある保育所設立の予算化を実現して下さるよう私達七〇五名力を合せて請願いたします。
何卒私達の要望がかなえられますよう御配感願います。
 昭和四十四年十二月十日

(『市史現代』NO一一八より引用)


写真58 保育所の子どもたち

請願が行われた翌四十五年、町立保育所設置が決定された。計画決定理由の中でも、「昭和六十年に於ける総人口は五万八〇〇〇人、要保育児童は約七〇〇人と推定されるため、社会福祉事業の一端として、これら勤労世帯の要保育児の保育所として七か所計画中であるが、本年市街化著しい勝林(かつばやし)地区に一か所設置する。」(現代NOニ一)とあるように、まずは一か所の保育所が親切されることになった。
昭和四十六年、北本初の保育所として設置された町立中央保育所は定員九〇名の乳幼児を預かる施設であったが、当初は三二名と、収容定員をはるかに下まわった。しかし、三年後には定員いっぱいとなったことや、人口急増による乳幼児の増加のため、さらに二か所保育所が新設され、現在は表46のように市立四か所、私立二か所がそろった。また、ますます進む婦人の職場進出や核家族化の進行は、保育需要に対して、保育所の設置という量的な面だけではなく、零歳児保育、延長保育という質的な面においても変化、多様化をもたらした。

表46 保育所と乳幼児数の推移  各年4月1日現在(単位:人)
人員
年度
園数定員実人員実 人 員保母数
(職員)
1歳2歳3歳4歳5歳
昭和46年1903229124510
47190657122215912
481907931721191913
491909081725211913
503300269195666824643
513300278204866667843
523300274204368776844
534390338355776908054
人員
年度
園 数定 員実 人 員年 齢 別職員数
(市立のみ)
市立私立市立私立市 立私 立0歳1 歳2 歳3 歳4 歳5 歳
昭和56年642520400120389318713406889969353
57642520400120400295105434688610710153
5864252040012040930910034663968711454
59642520400120361265961407772878453
60642520400120353256973415988679552

(『北本の統計』より作成)

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