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第7章 人の一生

第3節 葬送

2 葬送

埋葬と帰りの作法  
埋葬から帰ってくると、軒下に臼を置いて水と塩を出しておき、身を清める。最近では簡略化され台の上に臼の絵を張ることもある。参列者は座敷に上って全員で本膳の食事をする。夜は、親戚や隣り組の人逹が集まって念仏をする。寺から借りてきた十三仏の掛け軸をかけて、位牌を飾り、鉦にあわせて念仏をあげる。

写真21 台に張られた臼の絵

北中丸では、棺を墓穴に入れるのは子の役で、トコホリが手伝う。荒縄でつるして穴に下ろし、埋める時に荒縄を切る。埋める時には、親戚の人は念仏を唱えながら三回ずつ土をかける。あとはトコホリが埋める。トコヅクリの竹は墓場へ捨てる。トムライの日にオクリモノといって、寺へ一番いい着物を持っていく。墓から帰ると、臼の上に塩を用意してあり、その塩で清めてから玄関から入る。そしてブクヌキといって、ウドンを一把ずつ土産としてあげた。今は酒である。本膳には飯・汁・モドキ・煮豆などを出す。トムライの晩親戚が帰ると、組合の人がネンブツに来てくれる。鉦をたたいて念仏を上げる。
石戸宿では、トムライに使う縄は左ないにして、七尋半作る。この縄で棺を結わえたり、墓穴に下ろしたりする。棺を結わえた縄は、穴に下ろすと、ぶち切って縄も一緒に埋める。土をかけるのは、初め身内の人が少しずつ行い、あとはトコトリが埋める。堀の内では、墓に供える膳は、箸立て飯、汁椀、ガンモドキなどで、墓穴に中身を入れて、空のまま供える。墓から帰ってくると、庭に北向きにして臼を横たえ、その上に塩をのせる。その臼の側に水を置き、これで淸めてもらう。本膳は清めてから食べてもらう。飯、汁、スマンジュウなどである。オトキといって、年寄りが寄って、葬式の後に寺に行って念仏をあげる。墓から帰って本膳のあと、十三仏の掛け軸をかけて百万遍の念仏を唱える。昔は、集った人は、白麻のヒモで宝冠をつけ、女は白い真綿のツノカクシをかぶって唱えたという。
常光別所では、棺を埋(い)けて、施主や親戚の人は、土をかける真似をして帰ってくる。あとは穴掘りの人が土マンジュウを作って、墓の格好にしてお膳をすえ、塔婆を立ててくれる。墓穴は、穴掘りの人が事前に行って用意しておいてくれる。埋けて墓地から帰ってきて、親戚の者がキヨメを飲む。二座敷ほど設けて親戚の人は帰る。その後で手伝いの人がキヨメを飲む。葬式のあったその晩の内に、近所の隣り組の人が来て、十三仏の念仏をやる。十三仏の掛軸の前で鉦をはたいて念仏をあげてくれる。仏具代を寺に払って、鉦、掛軸、ロウソク立て、線香立てなどの仏具一式を借りてくる。親戚の人が寄っていて、近所の人にお茶を入れてやる。十三仏の念仏で、組合の仕事は終わりとなる。葬式の次の日に、贈り物といって、お寺さんに帯だの着物を納めた。ボロ屋はそれを買いに来た。お布施と贈り物と、四十九日の忌日札とかの書記料の三いろを坊さんに出す。

写真22 清めの水と塩(石戸宿)

高尾では、墓まで見送りに行った人は、棺にド口 (土)をかけてくる。埋葬のあと、隣り組の墓まで見送りに行けなかった人が、墓なおしに行く。竹を二つに割り、墓の上を四角に囲み、竹で花立て、線香立ても作ってくる。ハカナオシの時には、アマヤをのせてきたり、ちょうちんも立ててくる。墓の上にある家のようなものをアマヤという。土葬のものは大きく、火葬のものは小さい。葬式に出た人が家に入るとき、臼を伏せてその上に塩を置いておき、それで身を清める。葬式の晚、隣り組の者が主体となって十三仏の念仏を唱える。不動(ふどう)様、お釈迦(しゃか)様、文珠(もんじゅ)、普賢(ふげん)、地蔵(じぞう)、弥勒(みろく)、薬師(やくし)、観音(かんのん)、勢至(せいし)、阿弥陀(あみだ)、阿閥(あしゅく)、大日(だいにち)、虚空蔵(こくぞう)と十三回繰り返す。十三仏を唱えながら、来ている人が、位牌の前の水を繰り返し繰り返しとりかえる。この時に手桶を使う。男女で行う。
下石戸上では、棺を埋める時は、縄をつけて底まで下げ、縄を切る。送っていった人は、全員土をかけてあげる。近親者から先にやる。埋葬後、塔婆を立て墓をつくることを、「ハカツキ」という。塔婆の前は竹の二つ割りでしっかり固め、七本塔婆、位牌、お膳を置く。さらにその前には花を立てるために竹を二本さしておく。翌日近親者が墓参りに行き、さらにきちんと仕上げる。墓の上にのせる家型を「ウワヤ」と呼び、上層階級の家のみがつくった。坐棺で埋めていたころにはつくらなかった。墓地から帰ってきた人は、手を洗い、塩を身体にふり、幣束を振って身体を清める。手洗いの水、塩、幣束は、家の前に臼を横に倒した上に置かれている。身体を清めた後は、「ブクヌキ」といい、精進料理を食べる。ガンモドキ、ハス、豆腐などの煮物が多い。葬式がすんだ晩は、十三仏の掛け軸をかけて、鉦をたたきながら念仏を唱える。マッチ棒を一三本並べ、一回やるごとに一本ずつ減らしていく。また、シキビを皿の上にのせ、水にひたしては、その水を親戚の者がとりかえる。これは唱え終えるまで何度も行う。
東間では、穴に棺を入れて、一人ひとり埋葬者が、へラで三へラずつ土を入れる。埋葬後は後を振り返ってはいけない。埋葬の当日は墓に線香をあげない。翌日、トコバン二人が、ハカツキに来た時にあげる。
荒井では、弔いの日には、カドグチに臼を逆さに置く。埋葬やブクヌキから帰ったら、臼の上に置いてある塩で身体を清め、洗面器の水で手を洗い、タオルでふいて玄関から入った。現在も、臼のない家では葬儀屋さんは、臼の絵を書いた紙を張り、その下にキヨメの塩を置くようにしている。また省略して臼の絵の印刷した紙を使う。この臼は、昔馬小屋の前に臼を置いていたことがあって、たまたま火事になった時、馬を小屋から出そうとしたがなかなか馬は出ようとしなかった。そこで臼をころがしたら、馬は驚いて後も見ずに走り去った、といういわれから、葬式の時に臼を出してその上にキヨメの塩をのせる習慣になったそうである。葬式の翌日、近所の人とか親戚の人が墓参りに行く。これをハカツキという。近所の人は葬式の日には手伝いで忙しくて墓参りが出来ないからである。一本の太竹を二つ割りにしたもので四つ組の枠を作る。ハカツキで行った人が、埋めた場所に四角の枠竹を置いて、その形に四角錐に盛り土してやる。

図4 膳の配置

本宿で見た葬式によると、出棺の際、門口で松明(たいまつ)を燃やす。出棺後は火を消していた。玄関前に台を置き、そこに水を入れた洗面器、塩、幣、手ぬぐい、臼の絵を書いた紙(臼の横に〇〇家と家名を書く。印刷されたもので葬儀屋が用意する)などがあり、火葬場や墓地から帰った人は、幣ではらい、塩をふり、水で手を洗ってから家の中に入る。子育て観音境内で見た。前日葬式があった家の墓に供えられたお膳の配置は上の図の通り。①茶(湯飲み茶碗)②皿に丸餅三個③夏ミカン④御飯⑤味噌汁(豆腐ネギ)
本町では、墓場へ行って帰ってきた人のために、臼を庭において、その上に小皿に塩を入れておく。それで清めてから、家へ入る。丁寧な家は今でもやっているが、そんな丁寧なことをやる家は少なくなった。
宮内では、十三仏の念仏は、上、ジンガ、原、新田に分れて行う。葬式が済むと、ジンガの人が寄って、十三仏を唱える。先導は鉦をたたく。これで葬式が終わる。

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