北本市史 民俗編 民俗編一覧
第8章 信仰
第2節 堂庵
ここで取り扱う堂庵は、地域の人々により直接維持管理されている堂庵である。堂庵には、通常神社と同様に地区の人全体により維持管理されているものと、お堂の境内に墓を持つ家(檀家)により維持管理されているものとがある。ここでは寺院の境内にあって寺院により直接維持管理されているものは除外している。北本市内の堂庵を見るにあたって、参考までに作ったのが次表である。この表における『新編武蔵風土記稿』(以下『風土記稿』と略す)、及び『武蔵国郡村誌』(以下『郡村誌』と略す)についての簡単な説明は、神社の項を参照頂きたい。
『風土記稿』の堂庵記戰は、寺院境内の堂庵か境外の堂庵か不分明であるため、取りあえず総て掲げておいた。『郡村誌』になるとその区別がはっきりしてくるが、『風土記稿』との関係もあるので、これも総て掲げておいた。
表にある『堂庵明細帳』(以下『明細帳』と略す)とは、明治以後昭和十七年まで公認の台帳として寺院境外にある村民持あるいは寺院持の堂庵を記載してきたものである。この『明細帳』は、昭和十七年堂庵整理の時点で公認の台帳としての機能を終え、そのためすべての堂庵はいずれかの寺院に所属するか廃止されることになる。埼玉県における『明細帳』記載の堂庵分布とその整理については、『埼玉県史・民俗Ⅱ』(昭和六十二年刊)を参照されたい。『明細帳』に載せられたこれら堂庵は、一応昭和十七年で整理されたことになっているが、実際にはその後も、そのまま村民により今まで通り維持管理されて来ているものも多い。そして、村民持とあるものは当然であるが、寺院持のものでも寺院境外にあるため村民によって維持管理され、村民の生活に直接関わってきているものも多い。
また、北本市内を歩いてみると、この『明細帳』記載の堂庵以外にも、およそ墓のある所にはその横にお堂が建てられており、「お堂」という言葉が「お墓」を指すのと同様に用いられる場合もあったりすることから、当然そうしたお堂もここで取り上げられなければならない。しかし、そうしたお堂は世話人はいるものの、何ら祀りなども行われておらず、お墓参りの人が一寸手を合わせるだけになっているものが多い。
従ってここでは、『明細帳』記載の堂庵を追いながら、その他のお堂についても適宜選択しながら見ていくことにしたい。
表2 北本市堂安変遷表
新編武蔵風土記稿 | 武蔵国郡村誌 | 堂庵明帳細 | |
---|---|---|---|
東 間 | 地蔵堂 | ||
上 深 井 | 観音堂 | 薬師堂 | |
下 深 井 | 薬師堂 | ||
上 宮 内 | 地蔵堂 | 地蔵堂(常徳寺境内) | |
下 宮 内 | 観音堂 不動堂 弥陀堂 十王堂 | 観音堂(常徳寺境内) 不動堂 弥陀堂 | |
本 宿 | 観音堂 | 観音堂 | |
山 中 | 不動堂 | 不動堂 | |
古 市 場 | 観音堂(如意寺境内) 太子堂 | 地蔵堂 太子堂 | 地蔵堂(上手) 太子堂(谷足) |
上中丸 | 地蔵堂 薬師堂 太子堂 観音堂 地蔵堂(蝦堂) | ||
上中丸 | |||
花野木 | |||
別所 | 阿弥陀堂(大同) 地蔵堂 | 大堂 地蔵堂 | |
石戸宿 | 念仏堂 薬師堂 阿弥陀堂 | 薬師堂 薬師堂 東光寺(元阿弥陀堂) 阿弥陀堂(放光寺) | 薬師堂(横田) |
下石戸上 | 薬師堂 釈迦堂 阿弥陀堂 地蔵堂 | 薬師堂(真福寺) 阿弥陀堂 弥田堂 地蔵堂 | |
下石戸下 | 地蔵堂 阿弥陀堂 | 地蔵堂 阿弥陀堂(旧大蔵寺境内) | |
高尾 | 阿弥陀堂 観音堂 護摩堂 | 阿弥陀堂 観音堂 地蔵堂 薬師堂 | 阿弥陀堂(大宮) |
荒井 | 観音堂 地蔵堂 薬師堂 地蔵堂二宇(一は花見堂) 地蔵堂 | 千手堂 花見堂 | |
北袋 (荒井村枝郷) | 観音堂 薬師堂 |