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北本この人 >> 我が道草人生

一、 議員・議長として

水道事業
そうした中で桶川町議会から水道事業に手をつけたいが一緒にやりたいとの申し入れがあり、両町から交渉委員を選出して相談することとなった。
北本側では議長、副議長、他各常任委員長がこれに当たり、両町長の下に協力した。
すると今度はし尿処理場の問題が一度にふき出し、処理場建設が提案された。
しかし、既に桶川町は敷地を確保してあり、桶川は、上尾、北本、菖蒲の四市町村で完成させたいと意向を云って来た。
処が、いよいよ話合いに入ると、上尾、桶川下流の諸河川の無料附設作業をやれとか、上尾の処理場への進入路について、何地区から何地区迄、桶川地区内の部分は三間道路に拡幅、舗装すべし等と条件がつけられた。北本町の場合も同様で桶川、菖蒲街道よりし尿処理場迄、九尺道路を三間に拡幅し、舗装する条件がつけられた。
北本分は、当時の予算で千七百万円位かかる工事だった。其の時の北本の土木費は三千万円位だった。こうなると議員としても軽々に日も開けない。此処で私は北本でひとつ建設地を作ろう。高々六百五十万円で作った処理地で上尾、約一億円、北本、菖蒲が一、七〇〇万円とは儲け過ぎるにも程がある。 一ツ処理地確保の為、秘密裡に土地を見つけようと土地を探し始めた。
幸い内田柳之助議員からこの地点なら供出するよう話をつけることが出来る土地があるとの報告を受け、早速町長と相談をした。
町長は、此の問題は町長の首問題に迄発展する可能性もはらんでおり、私達に慎重な対応を要請された。
私は議員協議会を開き、買収問題につき種々相談した。敷地が買えればよし、買えなければ桶川町加入と私は考えていた。
ところが買収出来れば良いが出来ない時は誰が責任を取るかと云う問題が出た。私はし尿交渉委員だから、「町長、正副議長は知らぬふりをしてくれ、若し、敷地交渉不調の場合筆頭委員長として全責任を負い議員を辞任する。それで桶川町との交渉は再開されるであろう。」と云った。
そこで私は希望地の地主約二十人と地元住民を集め土曜日の晩、 一杯呑みながら懇談する準備を整え、お集まりを願い各常任委員長と共に天神社社務所で待った。
来てくれたのはたった一人、それもどんなふうか様子を見て来いと云われて来たのであった。それから此の一人に今迄の経過と今後の計画について説明した。すると納得がいってくれたのかその夜の内に「明日、日曜日の午后一時から無量寿寺へ来てくれ。全員集まって待つ。」と云う連絡が入った。早速段取りを組み翌日を待った。
当日、 一時に無量寿寺へ行った。全員深刻な顔をして待っていた。私はここで現在の桶川町との交渉過程、今後の見通し、当方の計画見通し等詳細に話した。すると金子と云う方が、「皆さんの御苦労はよく分った。候補地と白羽の矢が当ったのでは仕方がない。私は三段五畝持っているが全部供出致しましょう。」と即決で申し出てくれた。すると其の後から申し出が続いてくれた。地元の面目もあってか「土地は交換作業をしてでも地元で六千坪をまとめよう。」と云ってくれて約束が出来上った。
ところが先程の金子さんから「岡本さん、私は一番先に賛成した為、決定したが、し尿処理場とはどんなものなのか、皆目見当がつかない。後で皆さんに御迷惑がかかるようだと私の家は子々孫々に至るまで皆さんに恨まれる。此処はどう説明してくれる?。」と云われた時にはハッとした。(そうだ、まだ皆具体的なし尿処理場は知らないのだった。)と。
「それでは区長さん、ひとつ部落の人達を明日、鹿沼迄御案内致しましょう。皆さんで見て良いと思ったら賛成、悪い処があれば不賛成、何れでもよいから先ず見てもらうよう取計らってくれ。まだ四時だから、今夜中に返事がわかれば結構です。」と云って話を打切った。
私は早速、内田議員宅へ引き上げ、議会事務局に電話し、明日見学に行く為の用意をさせた。
其の夜、十一時頃二十一名参加の申し入れが伝えられた。各常任委員長に経過を報告し、明日同行するよう申し入れた。
翌、月曜日は雲一ツない日本晴れ、列車で鹿沼市へ行き、市役所の六角見孝課長の案内で見学、全員の「工場誘致と同じだ、賛成。」の声に包まれて、私は目頭が熱くなるのを覚えた。それから御一同に計り、火伏の神、古峯神社参拝、五穀豊穣のお神楽を奉納し町に帰った。町長、副議長に見学の結果を報告し、此処で桶川町との話し合いは一頓挫した。
これに連れて、水道の話もおかしくなりかねない様相となったが、し尿処理はし尿処理、水道建設は水道建設と割切って相談して行くことで話し合いを続けることとし、相手もそれを承知した。

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