我が道草人生 我が道草人生用

北本この人 >> 我が道草人生

一、 議員・議長として

し尿処理工場誘致
土地は出来たが、し尿処理場の建設の方が面倒だった。
先ず菖蒲町と共同で作ることとし、事務組合を作った。鴻巣市がうるさい口をはさむので円満な工事進行をする為、菖蒲を間に入れ、鴻巣を参加させることにした。もし、不都合があれば即刻お引取り願う等、鴻巣には特別条件を強くした。しかし、吹上町、川里村も入れて欲しいとの事であったことから、皆包含して作ることとした。
そこへ、鹿沼の堆肥生産方式より浅野式化学法式の方が汚泥が出来ず良いと云う情報が入った。推肥生産方式は①にゴルフ場、②畑、③稲作に堆肥を使うことが出来た。しかし浅野式を知らねばならず、やって快調であると云う九州の鳥栖迄見学に行くことになった。
衆議院議員福永健司先生を頼んで、厚生省への陳情等大変な事ではあったが、出来上るまでは、し尿処理千夜詣りと云われる程であったが思い出すのも楽しい。
いよいよ事務組合も設立の段階になり、無事構成も出来上って北本町長は管理者となった。又、同時進行していた水道事業も二山、三山越えて完成した。
そして、水道出水試験の為、私の家で水道の水を出したのが北本第一号蛇口となったのはなつかしい思い出である。

■千夜詣り
これはし尿処理場建設に対して、唯一の反対運動である。
鴻巣市常光地区(処理場建設予定地の至近距離にある地域)の人達の反対運動であった。
処理場建設賛成派、希求派を除けば10人にも満たない人々である。この人達が千夜詣りと云って代表六人が毎夜八時に来て十時に帰った。
し尿処理場とはどんなものかを始めとして、想像出来る限りの疑問を質問し答えを求めるのであった。私はそれに一ツ一ツ答えた。然し、反対の為の反対なのだから答えがどうのこうのと云うのではなく一種の嫌がらせであった。
一晩、二晩は我慢した。流石に数晩目になるとうんざりした。
其の夜の話は台風時の出水に対する稲作の状況であった。処理場の建物があまり大きなものだから其の施設の分だけ出水が多くなる。枯れない稲も枯れるようになる。この責任をどうとるかと云うことであった。
然し、この件については予め体積を出し、五十町歩の田へ流した場合、一分(三ミリ位)位の増水になる計算は出来ていたので、「何町歩位影響が出るのか。」と聞いたら百町歩から百五十町歩に影響するとのことであった。其処で私は「皆さんは広範に広がると云うが私は五十町歩として計算した。すると増位分は約一分(三ミリ)ですよ。これが百町歩といえば約五厘(一・五ミリ)となる。それでは風で吹かれるさざ波より少く、此の程度で稲は枯れますかね。」と云うと彼等も返答に困り、それ以降来なくなった。
ちなみに此の千夜詣りとやらを受けた者は議長、新井大一、総務委員長、岡本枩治、処理場予定地附近の代表議員・産業経済委員長である内田柳之助の三人であった。
後日聞くところによると岡本の処へ行くと反対しても賛成させられてしまうから行かなくても良いと云う事になったと云う。

<< 前のページに戻る