北本の神社
本文
Ⅰ 旧中丸地区神社
【氷川神社 旧村社】
- 1.所 在 地
- 北本市大字北中丸2156番地
- 2.祭 神
- 素盞鳴尊
面足命 倉稲魂命 天照大神 - 3.沿革
- 氷川神社蔵の『神社由緒調書』によれば「享和元年辛西十一月二十六日巳亥吉日良辰乎撲定 武蔵国足立郡上中丸村尓鎮座須掛毛畏キ正一位氷川大神明と」とあり、その折の、草創であることが知られる。天下泰平・社頭康栄・神道興隆・五穀能成・万民豊楽を守護給わんとした。
明治六年四月、氷川神社卜改称シ、爾来中丸村村社卜尊崇」されるようになった。「境内面積は古来参反九畝拾六歩アリテ古松老杉繁茂シ頗ル風致二富メリ、而シテ本社東方二天神卜称シ奉リシ末社アリ南方二本明院卜唱ヒシ別当アリテ社務ヲ掌」っていたが、「明治元年ノ頃暴風ノ為メ倒潰シ再建設計中」であったが、「明治四年引裂上地官林二編入セラレ故二敷地ヲ失シ、遂二再建二至勿論末社ハ現境内へ遷シ奉リシガ本社トノ距離僅少ナル為メ」、「明治拾四年拾壱月本社焼失ノ際類焼シ」た。
明治拾五年拾月「本社ハ再建セシモ末社ハ境内狭陰ノタメ位置二困ジ未ダ再建スル能ハス氏子一同恐罹二耐ヘズ又社務所ナキ為メ本社庭内ノ清潔ヲ欠キ神聖ヲ漬スノ虞レナキニ非ラズ」であった。そこで、「明治参拾式年拾壱月境内編入出願二及び候虎既二壱反壱歩ハ御許可二相成候得共社務所ノ復旧建設井神楽殿ヲモ新築致度居候虎、今般(明治四十年五月二日)勅令二基キ当氷川社、本字無格社須賀社、稲荷社、神明社井二村社大六天社、無格社八坂社ヲ合祀シタリ」
明治四十二年五月二十日神餞幣畠料供進神社に指定さる。
- 4.祭事
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例 祭 4月10日
秋 祭 11月19日
その他、年中恒例祭儀5回
- 5.景観・配置
- 拝 殿
- 流造 瓦葺
- 幣 殿
- 切妻造 瓦葺
- 外 宇
- 切妻造 瓦葺
- 本 殿
- 流造 板葺
- 神楽殿
- 入母屋造 瓦葺
棟札銘「明治四拾式年拾壱月 棟梁 大島才助 大工大島太吉 河野平吉 小川金蔵 加藤林蔵」
神楽殿の屋根瓦と手水舎の棟瓦に、当地にあった遍照寺の「卍」模様入りの瓦が使用されている。明治に焼失したため、現在は廃寺となっている。かつては、寺子屋も営まれたこともあった。
社務所・手水舎・神庫も同時に新築された。
道路拡張によって配置替えされた
- 神 庫
- 切妻造 瓦葺
- 鳥 居
- 神明型 花崗岩製 銘「昭和四十六年二月吉日建之 氏子一同」
- 灯 籠
- 石製 銘「明治十六年癸未年二月吉日 新嶋伊助外9名」
- 手水舎
- 切妻造 瓦葺
- 手水石
- 石造 銘「上中丸氏子中 文化十三丙子三月吉日」
- 記念碑1
- 表銘「参宮記念碑 奉納敷石 中丸敬神団 正五位勲三等加藤政之助書」
裏銘「大正七年四月十日建之 上尾石茂」 - 記念碑2
- 表銘「行者清浄院」
右銘「住所花ノ木加藤喜善中丸村氷川社二九年同住居記念トシテ昭和六年七月齢七十九才ニテ建之」 - 記念碑3
- 表銘「奉納 幟二旒」
裏銘「東京府下小松川町 九里きん 昭和六年四月」 - 記念碑4
- 銘「奉納御宝前 武州足立郡鴻巣領下中丸村 享保十六年辛亥四月吉日 加藤義兵衛書」
- 力 石1
- 銘「奉納力石四拾貳〆目 営村 大鳴愛之助」
- 力 石2
- 銘「加藤新三郎」
- 力 石3
- 銘「四拾〆目 武州足立郡中村丸 吉野次良兵衛」
- 6.神木・神蹟類
- 神木 現在、境内に切株が残されている。むかし、社務所が火災にあいそれがもとで枯れ、切り倒されたと伝えられる。
- 7.摂 末 社
- 8.組織・運営
- 現在の宮司は桜井茂年氏である。
- 9.奉 納 物
- 奉納額
- 銘「奉厭 伊勢太々御神楽 北足立郡中丸村大字東間 昭和式年式月拾四日奉奏」123×197cm
- 奉納額
- 銘「奉納 伊勢太々御神楽 北足立郡中丸村大字北中丸 明治廿九年_月」123×197cm
- 奉納額
- 銘「正風流 呆松斎他7名(門人) 明治式拾六天癸己一月吉日」34×135cm
- 10.信仰・習俗・その他