雑木林のあるまち 社会

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2.戦争

警防団 中丸 (昭和19年ころか) 

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戦時下の団体で、太平洋戦争中は警察の指揮下に入り、防空防火活動に国民を動員する中心的役割を果たした。昭和22年に消防制度の発足(ほっそく)により解散した。写真は小学生の防火宣伝ポスター展の看板であろうか。表面に「防火宣伝 中丸小学校 児童展覧会 中丸警防団」の文字がみえる。

畑仕事の勤労奉仕 荒井 (昭和17年) 

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お茶作りの勤労奉仕 高尾小島園 (昭和18年ころ) 

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太平洋戦争中は、国防婦人会はもちろんのこと、ついには小学生までが「勤労奉仕(きんろうほうし)」という名のもとに、労働にかり出された。出征兵士(しゅっせいへいし)の留守宅や、遺族宅の農作業を手伝うのが主な仕事であった。


石戸小学校児童によるお茶作り作業のようす。


梵鐘(ぼんしょう)供出Ⅰ 深井寿命院(じゅみょういん) (昭和18年ころ) 

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太平洋戦争も末期になると、家庭の鍋(なべ)、釜(かま)まで供出の対象となった。寿命院の梵鐘も鐘楼(しょうろう)からおろされ「祝、応召(おうしょう)」の幟(のぼり)を立てて、牛車で運ばれていった。

梵鐘供出Ⅱ 

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