北本市史 通史編 近代
第1章 近代化の進行と北本
第2節 地租改正の実施と村財政
1 地券の発行
地租改正の概要地租改正とは、明治政府の行った土地税制改革である。明治政府は、明治四年(一八七一)に断行した廃藩置県(はいはんちけん)により、全国的な統治を掌中(しょうちゅう)に収めたが、財政の基盤となる土地税制が不統一であった。中央集権国家をめざす政府にとっては、藩という障壁(しょうへき)をなくした以上、全国統一的な土地所有制度と税制度を確立することが急務であった。この当時の土地税制の混乱ぶりは、表17に示すように明らかであり、貢租(こうそ)制度の不統一が、税負担の不均衡(ふきんこう)を生み、解決しなければならない重要な問題となっていた。地域による負担の軽重の是正(ぜせい)は、統一的な市場をつくり、経済を発展させるためにも必要なことであった。
表17 土地税制の混乱 (明治初年)
土地税制 | 口分田の貫制・貫高・永高・段高・代・地米・当高 |
尺度(1歩) | 6.5・ 6.3・ 6.25・ 6.0 (尺) |
同(1反) | 900・ 360・ 300・ 250 (歩) |
租 率 | 7 — 3・ 6 — 4・ 5 — 5・ 3 — 7 (公一民) |
検 見 法 | 畝引検見・色取検見・抜検見 |
籾摺率(もみすりりつ) | 6・ 5.5・ 5 (合) |
附 加 税 | 出目米・延米・欠米・込米・合米・口米等 |
『地租改正報告書』『明治前期財政経済史料集成第7巻』より作成
明治政府は、江戸末期の討幕運動や御一新後の様々な諸事業に莫大(ばくだい)な資金を必要としており、「旧来ノ歳入ヲ減セサルヲ目的」として、旧来の貢租額を維持することは譲れぬ一線であった。また、「万国対峙(たいじ)」を政策の基本とする国家の体制を作り上げるには、富国強兵策・殖産興業政策を植極的に推し進めなくてはならなかったため、どうしても収穫高に左右されない地租によって、安定した金納による税収を確保し、近代的な予算制度を確立する必要があった。関税自主権を持たないために、関税収入に期待することもできず、また、この段階では、所得税・物品税というものを税の中心に据(す)えることも不可能であり、税収の大部分を地租にたよらざるをえないという状況であった。
地租改正の意義は、税制改革による税収入の確保にとどまらず、もう一つの側面として、抜本的に土地所有制度を改革することでもあった。前代までの封建的土地領有制を廃止し、農民を封建的諸条件から解放し、農民に対して土地の私的所有を認めるとした。原則として所有権は旧領主層には認められず、旧貢租納人者に認められた。旧領主層が地主化して存在することを否定したのである。
地租改正は、それに先がけて発せられた明治四年(一八七一)の田畑勝手作りの解禁、翌五年の土地永代売買の解禁と、土地所有権者に交付する地券、いわゆる壬申(じんしん)地券が交付される、という措置を前提条件として成立した。商品作物を自由に生産することや土地の自由売買を認めることにより、農民を封建的束縛から解放したのである。このことを円滑に実行するための手段として地券が発行された。