北本市史 通史編 近代

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第1章 近代化の進行と北本

第2節 地租改正の実施と村財政

1 地券の発行

地租改正の実施         
明治六年(一八七三)に地租改正法(『県史通史編五』P一五五)が出され、地租改正事業が実施に移された。地租改正法とは、別紙として付された地租改正条例と、手続きを規定した地租改正施行規則と、担当地方官の心得を示した地方官心得書を一つにしたものである。
地租改正の要点は、次のようにあげられる。
・算定した地価の一〇〇分の三を地租とする。
・地租は豊凶にかかわらず、増減しない。
・将来、物品税収入が二〇〇万円以上になったとき、地価の一〇〇分の一に減租を実施する。
・地租負担者(納税者)は、地券を交付された土地所有者であり、金納(貨幣による納税)とする。
・田畑の称を廃して耕地とし、家作のある地の称を宅地とする。
・地租改正が成功するまで、旧法を据え置き、苦情は受け付けない。

地租改正の進行に応じて、その結果を、新しい地券としての統一形式の改正地券に記した。改正地券には、写真9に見えるように、券面記載の土地の所在地・所有者・地目・地積・地価・地租が記され、土地の所有権と納税義務を明示していた。

写真9 地券

(関口欣一家 37)

地券の裏を見てみると、「日本帝国ノ人民土地ヲ所有スルモノハ必ラス此券状ヲ有スヘシ」と書かれており、またこの地券を持つことによって、売買・譲渡・質入・書入することができると書かれている。所有権の移転に関しては、書き換える形式から後に裏書による変更の形式にかえている。
明治二十二年(一八八九)に地券は廃止され、土地台帳による登記に移行されたが、地券による所有権の確定の意味が高く受けとめられ、その後も大切に保管されていることが多く、北本市域にも現在数多くの地券が発見されている。
地租改正事業は、『市史近代』でも述べたように、地押丈量、地引絵図作成、収穫調査、地位等級の査定、地価算定の順序で進められていった。特に地押丈燈と地価算定が中心事業であった。

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