北本市史 通史編 近代
第1章 近代化の進行と北本
第2節 地租改正の実施と村財政
1 地券の発行
地押丈量(ぢおしじょうりょう)地押丈量とは、土地の測量のことであり、境界をはっきりさせ、面積を確定する作業である。村民たちの警戒を考えて、検地のように強権的に貢租を増やす手段として、役人を派遣して作業をするという形をとらないことにし、基本的には、村民に委ねる形をとった。統一基準での地押丈量は、村民にとって経験のない大事業であり、困難をきわめたため遅延しがちになり、督促もたびたび行われた。
本宿村では測量が延びてしまい、十一月十一日より「一際(きわ)勉励(無理をして励むの意)致」し、同月二十一日までに成しとげるという埼玉県地租改正御掛あての明治八年(一八七五)十一月十一日付の請書(近代№一九)が残されており、地押量の実施がかなり難航していたことを窺(うかが)い知ることができる。
高尾村では県の説諭に対し、明治九年(一八七六)四月に、自分たちの村が田畑・宅地・山林等が三七一五枚も有り、また三二四町余の反別のために、副戸長六名・戸長一名ではほかの御用も多く忙しいとして、全村を三つに分課し、一課ごとに二名の副戸長をつけ、速やかに測量を成功させたいという請書(近代№二〇)を提出している。前年の十二月に着手したにもかかわらず延びてしまった丈量の作業を、何とか「勉強」(無理にがんばってやるの意)して成しとげたいという意図のもとで考えられた手段と思われる。
しかし、実際には完成の足並みがそろわず、自分たちはだいたい成功したけれども、一方ではこれまで出勤していない者もいるとし、一同の「勉強」の仰せは困るという上申(近代№二一)が提出されるという事態であった。
北本においても、県内の他地域に見られるように、地押丈量の作業が迅速には進まなかったものと推察される。