北本市史 通史編 近代

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第2章 地方体制の確立と地域社会

第2節 農事改良と農業の振興

1 農業団体の結成

中丸村農会
中丸村農会は明治三十一年(一八九八)一三〇名の会員をもって設立された。同三十三年の会則改正に際して会員の勧誘を行い、その数を一五〇名に増員した。役員は会長一名、副会長一名、評議員十一名、幹事四名、書記三名であった。
大正二年(一九一三)二月の中丸農会報告書(近代No.一〇七)によると、経費は明治四十二年度一八六円六銭五厘、同四十三年度一一六円五十四銭五厘、同四十四年度一四三円四十六銭五厘であった。明治三十五年以降、上級農会より指示されていた稲麦範範作・堆積肥料競技共進会・桑園共進会等を施行したところ、好成績を収め、それが事業の発展につながっていった様子が知られる。
この他にも、同三十六年以降、中丸村・馬室村・石戸村・川田谷村・桶川町の一町四か村の各農会が連合し、この地方の主要農作物である陸稲・大豆模範作共進会を順次主催していた。この共進会開催は効果が大きく、同四十年には中丸村主催に際して、鴻巣町・常光村・大石村・上平村・加納村の一町四か村が加わり、二町八か村という大きな規模で、開催することになった。陸稲二〇八四点、大豆九九一点の出品があり、成績がますます良好になり、大正二年には二町十三か村が参加する大事業となった。
黒穂予防・塩水撰は明治三十五年以来着手し、村を二十二区に分け、各区に農事組合長を置いて、監督の任に当たらせたところ、一反歩三升ないし三升五合となり、収穫は二倍の増収が見込まれるほどになった。
桑樹枝尺とりは、毎年小学校生徒に採集させ、その数により農会から奨励のため学用品が分与された。その金額は年度によって異なるが、十五円以内であった。
このほかにも、明治三十七年農事短期講習・野鼠駆除、同三十九年農事講話会、同四十一年短期蚕業講話、同四十二年野鼠駆除、同四十四年肥料配合講習、同四十五年屑繭整理講習・蚕業講習などの事業が行われた。

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