北本市史 通史編 近代

全般 >> 北本市史 >> 通史編 >> 近代

第3章 第一次大戦後の新展開

第1節 地方自治制の再編成

3 第一次大戦後の村財政

村民の税負担
第一次大戦後、村の財政規模が急激に膨張(ぼうちょう)したことは表52により明らかであり、しかもその大部分が村税収入によってまかなわれていたとすれば、この村税を含めて当時の村びとの税負担はどのくらいであったろうか。各年度の『村勢要覧』によって、石戸・中丸両村の状況をみると、次のとおりである。
表53 租税および一戸又は一人当たりの税額(石戸村)
年 度租 税一戸ないし一人当たりの税額
国 税県 税村 税水利組合日合 計国 税県 税村 税合 計
  年度
大正五

七、六〇五

五、二三七

四、九二五


一七、七六七
円 銭
一一・三五
円 銭
七・八二
円 銭
七・三五
円 銭
二六・五二
  六七、一六六六、二九一五、四二九一八、八八六一〇・二二八・九八七・七四二六・九四
  七七、七〇五七、五四二六、七五五二二、〇〇三一〇・九四一〇・七一九・五九三一・二五
  八二〇、四二〇九、〇一一一一、四四八四〇、八七九二六・〇五一二・八〇一四・八〇五三・六五
  九二二、五四五一一、五二四一七、五九四五一、六六三三二・〇九一六・四三二四・九九七三・五一
 一〇八、七六九一九、四三五二一、五〇七四九、七一一一二・四六二七・六一三〇・五五七〇・六二
 一一(資料なし)
 一二八、三七一一五、〇七二一七、二六六六〇四〇、七六九一・九六三・五二四・〇四九・五三
 一三八、一〇三一四、七〇三一五、一二〇五〇三七、九七六一・八九三・四二三・五四八・八六
 一四八、一〇五一五、五八二一五、五五〇四〇三九、二二八一・八五三・五七三・五七八・九八
 一五七、四六〇一七、三一八一五、九一五二〇四〇、七二三一・七一三・九七三・六五九・三三
昭和二六、九一七一五、二一一一五、九一六二〇三八、〇五九一・三五三・四八三・六四八・四七
  三一〇、八六七一四、五〇〇一六、一五三四一、五二〇二・四九
(一四・三九)
三・三二
(一九・二〇)
三・七〇
(二一・三九)
九・五一
(五五・〇〇)
  四六、九二二一四、一〇一一七、一五三三八、一七六一・五八
(九・一六)
三・六九
(二一・三二)
三・九三
(二二・七一)
九・二〇
(五三・二一)
  五七、四四一一五、三四三一五、九七八三八、七六二一・六五
(九・六八)
三・四二
(一九・九五)
三・五五
(二〇・七八)
八・六二
(五〇・四一)

注)・各年度の『村勢要覧』より作成
  ・大正五~十年度までの下段の数字は一戸当たりの税額、十二年度以降は一人当たりの税額を示す。昭和三~五年度の()内の数字は一戸当たりの税額を表す。
  ・大正十一年度は不詳


表54 租税および一戸又は一人当たりの税額(中丸村)
年 度租 税一戸ないし一人当たりの税額
国 税県 税村 税合 計国 税県 税村 税合 計
  年度
大正五

六、〇一三

四、三一三

三、八二五

一三、八五五
円 銭
一二・四〇
円 銭
八・八九
円 銭
七・二七
円 銭
二八・五六
  六六、二一八五、〇六九五、二七四一六、五六一一二・一九九・九四一〇・三四三二・四七
  七六、四五六六、一八六八、〇〇四二〇、六四六一二・五一一一・九九一五・五一四〇・〇一
  八八、〇〇五八、八一三一〇、五七六二七、三九四一五・四八一七・〇五二〇・四六五二・九九
  九六、八一八一一、九〇一一二、八二二三一、五四一一三・一九二三・〇二二四・八〇六一・〇一
 一〇六、五一三一一、六二一一四、二三九三二、七三七一二・六二二二・四七二七・五四六二・六三
 一一五、八三二一二、二〇四一六、四九五三四、五三一二・〇四三・六四四・九二一〇・六〇
 一二六、六一四一二、六三五一四、八四六三四、〇九五一・九七三・七六四・四二一〇・一五
 一三六、二八〇一一、九二九一三、八一八三二、五六七二・〇三三・五六四・一二九・七一
 一四六、二八〇一一、九二九一三、八一八三二、五六七二・〇三三・五六五・一二九・七一
 一五六、一六〇一二、〇七七一三、三四五三一、五八二一・八五三・六四四・〇二九・五一
昭和二五、八一九一三、〇五五一三、二五四三二、一二八一・七五三・九三三・九九九・六七
  三七、一八五一三、五〇四一〇、七三四三一、三九六二・一五
(一三・四六)
四・〇七
(二五・四三)
三・二三
(二〇・二一)
九・四五
(五九・一二)
  四六、三六一一三、八八四一六、六七九三六、九二四一・九一
(一一・九八)
四・一八
(二六・一五)
三・五五
(二〇・七八)
一一・一一
(六九・五四)

(注)・各年度の『村勢要覧』より作成
   ・大正五~十年度までの下段の数字は一戸当たりの税額、十一年度以降は一人当たりの税額を示す。昭和三~四年度の()内の数字は一戸当たりの税額を表す。


まず、この表から税負担の推移をみると、国税(地租・所得税・営業税など)については負担に大きな増減がなく、石戸村は七、八〇〇〇円台、中丸村は六〇〇〇円台で推移したのに対し、県税(直接国税附加税で地租附加・所得税附加・営業税附加など)は、大正十年代において同五年水準のおよそ三倍に増加している。この県税以上の増加を示しているのが村税である。当時の村税は独立の税目はなく、すべて国税・県税の附加税であった。そのなかで最も大きな収入源となっていたのが、県税戸数割の附加税であった。県税戸数割は県独立税のなかでは雑種税とともに重要な税目であったが、課税基準や賦課方法は府県にまかされていて、人頭税的な扱いをうけていた。そして、その附加税は本税より額が多いのが普通で、北足立郡下町村でも全町村税額の五割を越える大きさであった。この戸数割附加税は、実質的には低所得層に重いため、紛擾(ふんじょう)を起こす要因ともなった。こうしたこともあって大正十年一九二一)には府県税戸数割規則が定められ、本税である府県税戸数割に全国的基準が設けられた。この規則が実施されたことによって、戸数割もその附加税も、所得に応じて税額が決まる要素が強まり、個々の村民には少なからぬ影響をもたらしたが、村税収入が戸数割附加税に依存する体質には大きな変化はなかったといってよい。その後、戸数割附加税は、同十五年の税制改革によって特別税戸数割と名称がかわり、町村の独立税となった。
一戸ないし一人当たりの税負担をみても、国税よりも県税、県税よりも村税の負担が大きい。すなわち村税負担が村民にとって最も重い負担となっている。当時の新聞によって埼玉県下の町村税負担の変化をみると、大正十五年度は「町村税は一戸平均二七円で、之(こ)れに県税一戸当り平均二三円六六銭八厘、直接国税一九円七銭一厘を加算して実に一戸当りの負担総額は六九円七三銭九厘といふ多額に上る。之(これ)を五年前の大正十年度のそれと比較して見ると、同年度一戸当り負担額三一円六四銭で、実に二倍以上に増加」(『東京日日新聞』大正十年六月十五日埼玉版)したという。同十一年度は、「一戸当り(中略)町村費負担額を見ると、三八円五二銭八厘で、一人当り(中路)負担額は六円卅四銭」(前同、大正十一年六月十五日埼玉版)であった。
これに対し石戸村の負担をみると、大正十年度の一戸当たりの村税は三〇円五五銭、県税二七円六一銭、国税一二円四六銭、合計七〇円六二銭(表53参照)であって、新聞報道とほぼ同じ額であった。中丸村の場合、同一年度の村税は二七円五四銭、県税二二円四七銭、国税一二円六二銭、合計六二円六三銭(表54参照)であって、各税額とも石戸村より低額となっている。

<< 前のページに戻る