北本市史 通史編 近代

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第3章 第一次大戦後の新展開

第2節 地域産業の発展と動揺

1 生活基盤の整備

耕地整理事業の展開
耕地整理は、一連の農事改良政策の中の一つとして、区画整理、用・排水改良、耕地集団化などの既耕地に対する改良を目的として行われた。それは水田の乾田化を推進し、馬耕、正条植え、害虫駆除なども、関連するものとして同時に施行されるようになっていた。
また、耕地整理の実施による反当たりの収量の増加・安定は、小作料の安定的収得をはかる地主層の期待に答えるものであったが、反面「縄のび」の是正は、実質的な小作料の値上げを意味しており、後の小作争議や農民の階層分化の要因にもなっていった。
日清戦争後の明治後期、食糧増産が国家的にも軍事的にも要求され、農業生産力を増大させる必要に迫られていた。農業技術の改善は推進されていたが、農地そのものに対する抜本的な改善が十分ではなかった。
そこで政府は明治三十二年一八九九)に耕地整理法を制定し、耕地整理事業が全国的に推進された。この法律の制定により、区域内の土地所有者、面積、地価額の各三分の二以上の同意によって、耕地整理を行うことができることとなった。
耕地整理法では、耕地整理について、土地の農業上の利用を増進する目的の具体的な例として、いくつかの事項をあげている。
土地の交換・分合(ぶんごう)・開墾、地目変換その他区画形質の変更、湖海の埋立・干拓(かんたく)、道路・堤塘(ていとう)(川や池に作った堤防のこと)・畦畔(けいはん)・溝渠(こうきょ)・溜池(ためいけ)の変更廃置、灌漑(かんがい)排水に関する設備・工事等である。これらのことから判断すると、耕地整理とは耕地に関する多方面にわたる事業であったことがわかる。
耕地整理法制定後、法自身の何度かの改正を経る中で、耕地整理法施行規則やその他多くの関連規則が制定され、耕地整理の実施が推進されていった。それとともに、農業政策の一環として、資金貸与・技術員教育や組合設立等の関連対策も整備されていった。
その後、明治四十二年(一九〇九)、大正三年(一九一四)の改正で、耕地整理の強制力が増し、整理組合のおかれた位置が事業主体として重要視されるようになっていった。大正三年改正の耕地整理法第四一条では、「耕地整理を施行するため、必要あるときは耕地整理組合を設置することを得」としている。また、同法第四五条の中で、組合設立が許可された場合には、その地区内に土地を所有するものはすべて組合員とするという規定が設けられている。組合設立について、同法第五〇条の中で、組合の地区たるべき区域内の「土地所有者総数の二分の一以上」にして、「土地の総面積及び総地価の各三分の二以上に当たる土地所有者」の同意が必要であるという規定を設けている。決められた数の同意があれば、同意しない人も参加を余儀なくされたのである。
北本市域で中丸村の参加していた中丸村・加納村・常光村耕地整理組合が設立されたのも、ちょうどこの時期であった。

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