北本市史 通史編 近代
第3章 第一次大戦後の新展開
第3節 国民教育体制の拡充
1 小学校の拡充と教育の新動向
大正期の国定教科書写真110 尋常小学国語読本
(窪田祥宏氏蔵)
こうした思想を背景にして、教育界には新教育の思潮や運動が展開された。「八大教育主張」は当時のわが国の代表的な新教育思潮であったが、これらはいずれも教師中心の教育から児童中心の教育への主張であり、児童の個性や生活を尊重し、自発的・創造的な活動を鼓舞(こぶ)して学習を展開しようとするものであった。この種の新思潮はこの期の教科書の改訂にも反映している。また同時に、忠孝一本の国民道徳の徹底、教育勅語や国体思想による思想の統一が要請され、これらの思想も当然教科書の内容に影響を及ぼした。
第三期の国定国語教科書は二種類あり、一つは改訂された『尋常小学読本』であり、もう一つは新たに編集された『尋常小学国語読本』であって、どちらを使用してもよいとした。しかし、実際には新しく編集された『尋常小学国語読本』を使用した府県が圧倒的に多かった。この読本は灰白色の表紙だったので白表紙本と呼ばれ、そこでは教材の児童化が試みられ、児童の興味や理解に配慮して内容や表現が平易になっている。教材については系統性よりも心理性への着眼の方が強い。読本の二種、教材の平易化、心理主義等は大正期の思想を反映したものとみることができる。
『尋常小学国語読本』は、教材の平易化・文学化・生活化・国際化等いくつかの特色をもっていたが、従来の語→句→文の指導法を、語→文に改めたことも見逃(みの)がしてはならないことである。巻のーの第一ページは桜の花の絵に「ハナ」
とあり、次に「ハト マメ マス」「ミノ カサ カラカサ」となっている。つまり単語を三ページ七語に限り、第四ベージより「カラスガヰマス。スズメがヰマス。」の文になっている。童話や昔話などはその数を減(へ)らしているが、文章は長くなった。「サルトカニ」は一ページから一〇ページ、「モモタロウ」は三ページからーーページと大幅に増加した。しかもただページ数が増えただけではなく、童話のポイントが変化し、鬼征伐に力点が畦かれ、桃太郎のもつ扇も桃の絵から日の丸になった。
修身教科書も大正七年(ー九一八)から年次的に改訂された。すなわち、毎年一巻ずつ進められ、同十二年四月から新たに使用されることになった『尋常小学修身書』巻六をもって完了した。高等小学修身書については、昭和年代に入ってから改訂が行われた。
図111 尋常小学修身書
(窪田祥宏氏蔵)
大正期の特色の一つである「国際協調」の精神は、巻六の第四課「国交」によく示されている。そこには国際連盟の一員として、世界平和に貢献すべきことを国家の方針として強調している。これと関連して、巻四「国旗」の説話には「外国の国旗を侮辱(ぶじょく)するは、其の国を侮辱すると同じことなれば、礼儀ある国民のすまじきことなり」と述べられている。こういうところに鎖国的国家観の修正を窺(うかがい)い知ることができる。なお、第二期の国定修身書では五学年以上は文語体であったが、第三期のそれはすべて口語体となった。高等小学修身書には、巻頭に「教育勅語」「戊申(ぼしん)詔書」の他に「国民精神作興ニ関スル詔書」が掲げられ、昭和十五年以降のものには、さらに「青少年学徒ニ賜ハリタル勅語」が掲げられている。
算術の教科書も改訂された。尋常科用は大正七年から同十一年に、高等科用は同十二年から翌十三年にかけて行われた。尋常科第一学年では実物観察や実物計算を重んずると同時に、豆細工や色紙細工などの作業学習も取り入れられた。このように子どもの心理や生活、さらには活動に一層配慮するようになったのは、大正新教育思想の影響とみてよいだろう。第三学年以上の児童用書では、これまでの平がなが片かなとなり、文章は各学年とも口語文となった。このほか、子どもの学習負担を軽減する配慮も加えられた。さらに、メートル法の採用に伴う改訂も行われた。
歴史教科書は書名を改め、『尋常小学国史』、『高等小学国史』となり、前者は大正十年(ー九二ー)より使用された。この第三期本は、その後一五年にわたって使用されたもので、国定歴史教科書としては最も長期間使われたものである。
地理の教科書も時勢の変化の中で改訂され、書名は『尋常小学地理書』、『高等小学地理書』となり、大正七年から使用された。
理科は大正八年の小学校令施行規則の改正によって第四学年から週二時間授(さず)けられることになり、新しく第四学年用が編集され、同十一年から使用された。第四学年の内容は、植物・動物・鉱物及び自然の現象、通常の物理化学上の現象となっている。植物のはじめは「さくら」であり、季節を考慮して教材の配列がなされている。