北本市史 通史編 近代

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第3章 第一次大戦後の新展開

第4節 生活と文化の展開

2 関東大震災

市域の被害
大正十二年(一九二三)九月一日午前十一時五十八分、相模湾北西部の海底を震源地とする大地震が発生し、東京、神奈川、埼玉、千葉、骼岡、山梨、茨城の一府六県を中心に、長野、群馬、栃木の各県にわたって大きな被害を受けた。死者・行方不明者ー四万二八〇七人、負傷者一〇万三七三三人、家屋全壊(ぜんかい)ーニ万八二六六戸、半壊(かい)ー二万六二三三戸、焼失四四万七ー二八戸、津波による流失家屋八六八戸にも及ぶ未曾有(みぞう)の大惨事となった。地震の発生が昼食時と重なったため、各地で出火し被害を一層大きくした。東京の場合は、火災によって全市のー〇分の六、横浜市の場合は全市が灰燼(かいじん)に帰(き)した。東京と横浜は壊滅(かいめつ)状態となり、日本の政治と経済の中心地は事実上、一か月にわたってその機能を停止した。
埼玉県の被害も大きかった。東京府や神奈川県と比較すればはるかに少なかったが、それでも本県の災害史上最大級のものであった。被害は、川口町を中心とした北足立郡南部と粕壁(かすかべ)町を中心とした南埼玉郡南部から、幸手町を中心とした千葉県に接する北葛飾郡の中部が特に大きかった。川口・粕壁・幸手は三大被害地といわれるほどであった。
表62 関東大震災被害状況
種別
市町村名
市町村戸数家 屋
(右住家)全潰 (左非住家)半 浪破 損
鴻巣町一、二六〇(戸)  | (棟)  |(戸)  | (棟)  一(戸)  六 (棟)  八(戸)  六 (棟)  九
桶川町七一〇     |      三     |      |     八     一〇     八     一三
蓑田町四六一     一      一     |      一     六      九     八     一〇
田間宮村四〇二     |      |     一      |     七      八     七      九
馬室村五一四     |      |     |      |     五     一一     五     一一
中丸村五二二     |      |     一      |     四      七     四      八
常光村三三五     |      四     |      |     三      九     三     一三
石戸村七三七     |      一     |      |     五      八     五      九
川田谷村六六八     |      二     |      |     八      八     八     一〇
加納村五二二     |      一     |      |     五      九     五     一〇
一〇四二〇六四八、一二九一、八二一  一、四四四一、六三八    九九三一一、四一三  七、一〇七一四、七七二  九、八三一

(『大正震災誌』P1136より作成)

市域の被害は、『埼玉県市町村誌第四巻』(P二五)によれば石戸で死傷者一人であった。また九月三日の北足立郡役所に対する「震災被害調査の件報告」によれば、石戸村役場は「本村被害ナシ」との報告をしている(近代№二七六)。しかし中丸・石戸あわせて損壊(そんかい)家屋は別表のように九戸、一七棟に及んだ(近代№二八三)。

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