北本市史 通史編 近代
第3章 第一次大戦後の新展開
第4節 生活と文化の展開
3 石戸の蒲桜
保存連動蒲桜は大正十一年十月、天然記念物として国の指定を受け保全が計られることになった。これより先五月に、内務省史跡名勝天然記念物保存会から帝大教授三好学博士が派遣され出張調査が行われた(近代№三〇八)。その報告書では保存の要件として二点を指摘された。一は幹や根の保護のため石柵を拡げ支柱を立て、さらに防蟻剤(ぼうぎざい)を施すこと。二は堂と桜樹が接近していて損傷しやすいので堂を離したほうがいい、というものであった。村では、これを受けて同十二年保存会をつくりその規約を定めた。それによれば、本会は天然記念物石戸蒲桜を永久に愛護保存することを以て目的とする(第一条)とあり、会長一名、副会長一名、評議員六名、幹事五名によって構成され、有志の寄附金をもって経費とすることが決められた(近代№三〇九)。また、明治四十五年(一九ニー)に編纂された『石戸村郷土誌』には、澱橋 浅田吉太郎氏の蒲桜歌が載っている。
また、昭和八年の石戸小学校編纂の『郷土読本』でも次のように紹介されている。
北風が吹きやんで、何処(どこ)からともなく春がよみがえって来ると、空にはひばり、畠には伸び上った麦のみどり、野道にかげろふがもえる。そしてあの小高い丘の上には蒲桜が、淡紅色の花のかたまりに春の姿を飾る。その老樹蒲桜を天下の名木と知らぬ者は一人もいない。
石戸よいとこ そよ春風に
花が咲くぞえ 蒲ざくら
今は天然記念物に指定されたこの蒲桜の下に立って、巨大な姿を見入ると、数百年の世を眺めつくしたその生命の尊さを思ひ、私達の祖先の親しんで来た歳月を思うて、幾十年の後までも世々のかたみと生命を保って、年毎の春に花をかざせよと思ふこころを禁じ得ない。蒲桜は石戸村の栄えと誇りの姿である。かかる名木を今にまで残した祖先に対して、私達は深く感謝しなければならないのだ。(中略)とにかく、蒲桜は日本有数の巨桜であると共に、関東平野における唯一(ゆいいつ)の巨桜というべきものである。幸にその場所が都会の地を離れて閑静な処にあった為、又村人の保護により、今日までよく保存されて来た。現に見る所では、此の木は猶(なお)発育が盛んで、年々多くの花を開き益々生木しつつあるから、将来とも永く生存するであろう。只(ただ)木を傷けないやうに、又枝の折れた処、其の他自然に傷んだ所も速(すみや)かに治療することに努めなくてはならぬ。日本に桜が無数あっても、かくの如く巨大な桜は滅多(めった)に出来るものでない。さうして長い年代を経て今日まで生存して来たことも誠に珍らしい。
石戸よいとこ そよ春風に
花が咲くぞえ 蒲ざくら
今は天然記念物に指定されたこの蒲桜の下に立って、巨大な姿を見入ると、数百年の世を眺めつくしたその生命の尊さを思ひ、私達の祖先の親しんで来た歳月を思うて、幾十年の後までも世々のかたみと生命を保って、年毎の春に花をかざせよと思ふこころを禁じ得ない。蒲桜は石戸村の栄えと誇りの姿である。かかる名木を今にまで残した祖先に対して、私達は深く感謝しなければならないのだ。(中略)とにかく、蒲桜は日本有数の巨桜であると共に、関東平野における唯一(ゆいいつ)の巨桜というべきものである。幸にその場所が都会の地を離れて閑静な処にあった為、又村人の保護により、今日までよく保存されて来た。現に見る所では、此の木は猶(なお)発育が盛んで、年々多くの花を開き益々生木しつつあるから、将来とも永く生存するであろう。只(ただ)木を傷けないやうに、又枝の折れた処、其の他自然に傷んだ所も速(すみや)かに治療することに努めなくてはならぬ。日本に桜が無数あっても、かくの如く巨大な桜は滅多(めった)に出来るものでない。さうして長い年代を経て今日まで生存して来たことも誠に珍らしい。
写真132 石戸蒲ザクラ
平成2年 石戸宿