北本市史 通史編 現代
第1章 戦後復興期の北本
第3節 食糧増産時代の北本
1 農地改革の推進と農村民主化
小作契約文書化運動農地解放の際、三町歩という地主の保有限度枠内の小作地はそのまま残存することになった。北本宿村では水田十四.四町歩、畑九十二.六町歩が小作地として残された(北本宿 ニニ四)。地主制の廃止と自作農制の確立は、農村民主化政策の推進上不可欠の条件であった。そこで、政府はやむを得ず残存することになった小作農家の権利を確保するために、農地法の中にその精神を盛り込む一方で、小作契約に関する文書化運動を推し進めた。その結果、昭和三十一年八月一日現在、小作契約対象農地一一四.九町歩のうち、文書化完了面積は一一三.四町歩(九十九パーセント)に達した(北本宿 五五二)。
契約書によると貸借(たいしゃく)期間五か年と定めたものが九十パーセントを占め、小作料は水田の平均が一一一〇円、同じく畑の平均が六六七円となっている。小作料の受け取り方は直接授受(じゅじゅ)方式が採用された。ただし水利費、土地改良費の負担関係については全く明記されていなかった。戦後の土地改良法が耕作者主義をとったため、地主たちはこれに便乗した観がなくもない。それにしても、水利費はともかく土地改良費のような莫大な支出を五か年契約耕地に注ぎ込むことは、小作農民にはとうていできることではなかった。
文書化が遅延(ちえん)した理由としては、小作料が高すぎること、契約期間が長すぎること、満期に伴う引き上げ、又は転貸(てんたい)によることなどが指摘されている。