北本市史 通史編 現代
第1章 戦後復興期の北本
第4節 工場適地と企業誘致
1 シャウブ税制と埼玉県の工場誘致姿勢
埼玉県の企業誘致姿勢と誘導適地埼玉県の企業誘致活動は、昭和二十七年一月に制定された埼玉県工場誘致条例に基づく工場適地調査と、そこへの企業の立地誘導を柱として推進された。当時の埼玉県当局の企業誘致姿勢を商工部作成の「工場誘致案内」からみると、まさに不動産業界の広告を思わせるほどの低姿勢かつ営業感覚に溢れたものであった。以下その一部を紹介してみよう。
工場建設は埼玉県へ
県内主要市町(ママ)の工場誘致も非常に積極的であり、現在一六市町村に工場誘致条例が施行されておりますが、これによって本県が工場誘致に絶大なる熱意を示していることを御了解戴(いただ)けると存ずる次第であります。誘致に当っては県並びに関係市町村があげて公有地の破格提供、遊休土地施設の斡旋(あっせん)紹介、電力、工業用水、労働力供給の確保更に誘致企業の便宜(べんぎ)のため、道路公共施設等の県費助成も考慮して誘致都市の発展に寄与(きよ)することになつておりますとともに、三か年間の誘致奨励金の交付は申すに及ばず県並びに関係市町村が協調一体となって誘致実現に邁進することになっております。
県内工業立地条件の概要については、関係資料も御座いますので、御要望等何なりと御連絡いただきますれば御説明種々御相談を承わると共に、出来得る限りの御援助をいたすことになっておりますので、何卒(なにとぞ)本県へのエ場建設を御推奨(すいしょう)申し上げる次第でございます。(北本宿 一六一より引用)
こうした県当局の熱心な誘致活動に呼応して、自主財源に苦しむ県下の市町村もそれぞれ工場誘致条例を制定して、積極的に企業誘致に取り組んだ。北本の場合も例外ではなかった。昭和二十七年当時の埼玉県下の立地誘導適地は、次頁の分布図に示すように、高崎線、それも改札口反対方向の西側にまとまった分布がみられた。高崎線各駅の東側に分布がみられないのは、ここが古くからの宿場町として、市街地を形成していたためである。北本宿村の場合も、駅に近く平地林の多い高崎線の西側に、立地誘導の対象となる用地が集中していた(現代NO.九七)。