北本市史 通史編 現代

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第1章 戦後復興期の北本

第4節 工場適地と企業誘致

2 北本の工場適地と工場設置奨励条例

北本の工場適地

図9 工場敷地と遊休施設の分布

(北本宿№161より作成)

昭和二十七年五月三十一日、埼玉県経済部より北本宿村に対し「貴地は特に鉄道沿線にあり、工場誘致には適格の地と思われますので、工場誘致の主旨に格別の賛意(さんい)を賜(たま)わり、工場誘致に適格な遊休の土地建物がありましたら早急に報告されたい」旨の依頼があった(現代NO.九六)。
これに対する同二十七年六月九日の北本宿村の報告によれば、北本宿村の工場適地は表14に示すとおり(一)平地林の分布地域であること、(二)北本宿駅からの距離が一~二キロメートル以内に立地すること、(三)中山道から一〇〇~ニ〇〇メ—トルの至近距離に在ること、(四)予定地内部はもちろん、付近にも人家がほとんどみられないこと、など多くの点ですぐれた条件を備えているとされていた。つまり、非生産的な平地林と、交通並びに環境条件に恵まれ、加えて地権者も比較的少ないので用地買収が容易である等々の立地適性を備えていたことになる。このうち、第五予定地だけは、戦前の下村織布株式会社が戦争末期に軍需工場株式会社英工社となり、終戦とともに閉鎖(へいさ)され廃工場として残存していたものである。
北本宿村の工場適地は、その後、昭和三十年九月の県商工部宛の修正申告で若干改められ、第二予定地が都市計画上の住居専用地域の風上に位置するという理由で取り消され、代わりに北本宿駅から一〇〇メートル、十七号国道東側の大字東間地区に四万一三四五坪(山林原野一万三一ニ九八坪)の候補地が加えられた(現代NO.九八)。ただし、これらの工場適地への企業誘致は、県・村当局の期待に反して、高度成長経済期を迎える昭和三十年代半ぱまで進展をみることはなかった。

図10 北本の工場適地

(北本宿№161より作成)

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