北本市史 通史編 現代

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第1章 戦後復興期の北本

第7節 民主化される教育

3 学校教育施設の拡充と活発な研究活動

先生たちの活発な研究活動
戦後復興もすすみ社会が安定してくると、教育界も落ち着きを取り戻し、教師達を中心に積極的な研究活動が行われるようになった。
昭和二十七年、サンフランシスコ講和条約により日本が独立を回復すると、教育の面でも基礎的な学力の充実が強調されるようになり、各学校での活発な研究活動をうながすこととなった。中丸小では同年十二月、新しい教育の研究成果として「学校経営研究」の発表が行われた。県教育局からの指導者を招いての大規模な発表会であった。『中丸小学校八〇年史』によると、この研究発表は、基礎的な学力の徹底を目的に、当時としては先端をいくといわれたカード学習、学校放送を取り入れた公開授業形式で行われ、参加者には大好評で、中丸小の飛躍の年でもあったといわれる。
また、同校では、昭和二十九年、県指定の学校給食研究発表が行われた。同小での戦後の給食は、同二十四年に物置を改造して給食場を作り、翌年からミルク給食が開始されたことに始まった。まだ完全給食ではなく補食給食という形式で、給食作業も専従者がおらずPTA婦人部の尽力で行われた。二十七年に給食室を新築したのを契機にミルク給食から完全給食に改められ、専従者も置かれることとなった。また、県から給食研究の指定をうけたのもこの時であった。二十九年十一月の研究発表を機に完全給食の実施が話題にのぼった。しかし、完全給食を望む声は多かつたものの、各家庭への費用負担がかさむためしばらくの間見送られた。その後、PTA ・学校関係者から町へ完全給食実施の請願が寄せられ、実施も可能な状況となったため、三十七年から完全給食が実施されるようになった。当時給食に出たパンはコッぺパンで、児童達は味をかみしめながら食べたものだった。また同小では三十六年六月、県教育委員会、埼玉県小学校体育連盟指定の体育研究発表が行われた。これは、「児童のためにどのような体育学習が望ましいか」という研究テーマのもとに同小職員が一丸となって研究に取り組んだもので、これにより児童の基礎運動能力の向上、自主性の萌芽(ほうが)などめざましい成果が揚り、研究発表でも大変に高い評価をうけた。
(一)中丸小(昭和四十六年までの研究活勤実績)
昭和二十五年 国語研究発表
  二十八年 県指定学校給食研究発表
  二十九年 郡小学校長会指定学校管理研究会開催
  三十年  教研集会で「マスコミの一環としての放送、雜誌、映画の実態」発表
  三十一年 教研集会で「特殊な地域的条件における本校児童の体位と運動能力」発表
  三十二年 教研集会で「本校における児童言語生活の実態と方策について」発表
  三十三年 教研集会で「本校における読みの診断と治療指導」発表
  三十五年 体育研究中間発表
  三十六年 県小体連指定体育研究発表
  三十六年 特設道徳教育研究発表
  三十八年 北本、吹上班教育研究会委嘱(いしょく)算数研究発表
  三十九年 班指定理科研究発表
  四十年  県理科振興会委嘱理科研究発表会開催
  四十一年 教研集会「書写の効果的な指導法」発表
  四十一年 ソニー理科振興資金受赏
  四十二年 教研集会「天文教材の効果的な指導法」発表
  四十五年 教委指定学級経営研究発表

(『中丸小学校八〇年史』・『中丸小学校一〇〇年史』より作成)


石戸小でも昭和三十九年、北足立郡教育研究会より委嘱を受けた体育の研究発表が行われた。特に、体育の環境づくりのための校庭の整備、拡張により広い校庭を確保することができたことは大いに評価された。同小での教育研究の成果は四十七年に学校給食文部大臣賞受賞となって実ったが、このことは後述したい。
(二)石戸小(昭和四十六年までの研究活動実績)
昭和三十九年 県教委委嘱体育研究発表
  四十一年 図工科研究発表

(『石戸小学校六〇年史』より作成)


北本中は恵まれた環境を生かし、しばしば環境、保健衛生面での表彰を受けている。昭和二十八年五月に、県指定の学校保健の研究発表が高い評価を受けたのを皮切りに、翌二十九年に学校保健環境審査県二位、三十年には同審査北足立地区一位となり、さらに文部省の学校衛生統計の指定を受けた。また三十一年には学校環境緑化審査で県の優良校となるなど、環境の美しさ、緑化、保健衛生の充実などの面では県内屈指(くっし)の優良学校であった。三十年代に入ると、日本の高度経済成長が始まったことを背景に、教育面でも特に産業教育に重点がおかれるようになった。同中は、三十二年文部省より産業教育の研究指定を受け、職業科・家庭科の指導方法について多くの教師による研究が行われた。時代的に中学校の職業教育が技術教育へ転換する時期であり、その点からも大きな関心が寄せられた。研究発表は三十年十一月に行われ高い評価をえたが、産業教育研究を文部省から指定されたのを機に、産業教育工業実習室を新設する運動が始まった。通称産業教室は同年四月に完成したが、木工機械室・電気工作室・機械金工室を備え、当時としては県下でも初のものであった。
(三)北本中(昭和四十六年までの研究活動実績)
昭和二十八年 県指定学校保健研究発表
  二十九年 学校保健環境審査県第二位表彰
  三十年  〃 北足立第一位表彰
  三十年  学校衛生統計文部省指定校
  三十一年 学校環境緑化審査県良好校
  三十二年 文部省産業教育研究指定校
  三十四年 〃 研究発表
  三十七年 県指定音楽研究発表
  四十年  緑化協力優秀校県表彰
  四十年  保健活動優秀校県表彭

(『北本中学校四〇年史』より作成)


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