北本市史 通史編 現代

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第2章 都市化から安定成長へ

第6節 都市化と変貌する北本

3 衛生施設の近代化と福祉活動

浄水場の建設
北本では地下水に恵まれていたので、多くの市民は井戸を掘って飲料水としていた。しかし、これには二つの問題があった。第一は井戸の多くが雑菌に汚染され、飲料水の七五パ—セントが飲料として不適とされたことである。毎年のように多く発生する赤痢(せきり)の一原因もここにあると考えられた。第二に、井戸を掘ることにより水位が低下し飲料水が不足するという状態が生じた。このような事態は、伝染病予防上、公衆衛生上大きな問題であり、良質な飲料水を確保することは行政当局にとっても緊急を要する課題であった。隣接の桶川も状況は同じであった。そこで、良質の飲料水確保のため北本・桶川が共同して水道事業に取りくむことが検討された。
昭和三十八年十月、桶川・北本水道組合が設立され、水道事業が開始されることとなった。事業の中心は計画給水人口を四万七〇〇〇人とする浄水場を建設することであった。浄水場の建設場所は北本町下石戸下に決められ、四十年から急ピッチの建設が進み、四十一年十二月、石戸浄水場が完成した。浄水場では、四か所の井戸から送られてくる水を濾過(ろか)滅菌し、清潔な水をポンプで給水する仕組みがとられる。水を送るために必要な配水管布設工事も進み、給水が始められることとなつた。
昭和四十二年に地方公営企業法が改正され、給水人口五〇〇〇人以上の水道事業は地方公営企業法の適用を受けることになったため、水道組合の規約を変更し、「桶川・北本水道企業団」と改祢した。
四十五年には水道事業開始期の計画事業を完了したが、両町の人口増加は著しく、すでに四十四年度には、給水人口が計画給水人口を上まわる状態となっていた。また四十六年には日本住宅公団の団地が北本に進出する計画になつており、給水人口は大幅に増加することが見込まれた。このような理由から水道事業の拡張の必要に迫られた。事業拡張に際しては第二の浄水場を建設することが中心事業とされた。中丸浄水場と名づけられた第二浄水場は四十六年から稼動し、従来の石戸浄水場と合わせてー〇万人分の給水が可能となった。

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