北本市史 資料編 原始
第2章 遺跡の概要
第1節 荒川沿岸の遺跡
堀ノ内館跡 (石戸宿二・三丁目他)鎌倉時代に築営された館の跡である。旧地名は大字石戸宿字堀ノ内である。館跡の南西部に東光寺がある。東光寺は、館の持仏堂の後身と推察されており、境内にある桜の巨樹は「蒲桜(かばざくら)」と称され、かって日本の五大桜の一つに数えられもし、つとに著名である。
荒川に開口部をもつ樹枝状に分かれた小支谷に囲まれた台地の基部に位置している。西から入ってきて、南から東側へと小支谷がまわり込んでおり、館跡の北東部で谷頭となっている。北西部にも同じ谷から枝分かれした支谷が入ってきて、谷頭となっている。標高は二二~二四メートルで、大概平坦地である。南側の谷との比高差は七メートル強である。以前より館跡の北側に空堀、土塁(どるい)が良好な状態で遺存していた。北西部には堀と土塁に囲まれた小さな郭の存在も看取される。また、石戸神社に残されている獅子を収納する箱の蓋の裏に記された館跡の略図によれば、堀は二重にめぐっていることから、かねてより埋没しているであろう堀の存在が予測されていた。
図136 堀ノ内館跡位置図
調査により発見された遺構は、堀跡三本、正方形遺構一、長方形遺構一、土壙(どこう)・ピット九九・溝三である。堀跡は外側(北側)より〇号堀、一号堀、二号堀と仮称しているが、とくに二号堀は、獅子箱蓋に描かれていた二重の堀の外側の堀に該当しており注目される。二号堀は上幅約五・六メートル、下幅約一・三メートル、深さ二・四メートルの箱薬研堀(はこやげんぼり)で、約二二三メートルにわたって確認された。傾斜角度は外側が平均四八度、内側が平均五〇度とほぼ対称であり、上に向かってラッパ状に広がっている。堀ノ内側斜面の底から約九〇センチのところに幅二〇~三〇センチの平坦面(段差)があるのが特徴である。
写真81 堀ノ内館跡航空写真
堀ノ内館跡の詳細については「第三巻下古代・中世資料編」第三章第一節城館跡の稿を参照されたい。