北本市史 資料編 原始

全般 >> 北本市史 >> 資料編 >> 原始

第2章 遺跡の概要

第1節 荒川沿岸の遺跡

石戸城跡 (石戸宿六丁目)
遺跡は、西側が荒川に浸食されて急崖を呈し、北側及び西側も浸食されて小支谷が形成され急崖をなし、北方に向かって突き出た台地先端部に位置している。標高は二五メートルである。沖積低地との比高差は、西側の台地直下とで一〇メートル、東側の谷とは一一メートルである。遺跡の広がりは南北三三〇メートル、東西は北端で一四〇メートル、南端で二八〇メートルである。遺跡の名称のとおり、中世に城が営まれ、土塁(どるい)等が今も遺存している。館の造営で地表の形は大きな変化を受けている。城跡については「第三巻下古代・中世資料編」を参照されたい。ちなみに旧地名は、大字石戸宿字城山耕地である。
昭和五十四年十月一日より二十七日まで、北本市石戸城跡調査会が主体となって発掘調査を実施した。この発掘調査で、縄文土器片・弥生土器片・古墳時代の住居址一軒と住居址に伴う土師器(はじき)、堀の一部、板碑の小片を検出した。

図137 石戸城跡位置図

図138 石戸城跡発掘調査区全測図

縄文時代の遺物
第一群土器 草創期・早期の土器である。
図139の1は井草式。色調は赤褐色を呈している。胎土に石粒と、微細な砂粒を含んでいる。内面は荒びている。文様は撚糸文(よりいともん)で、撚糸LをR巻にした絡条体である。
図140の21は田戸(たど)下層式。裏面上端がわずかにカーブする気配があり、口縁が近いらしい。色調は赤褐色~暗褐色を呈している。胎土に砂粒を含んでいる。最厚部で一二・八ミリと厚手である。焼成は良好である。器面をへラ削りしたのち、貝殻腹縁文(かいがらふくえんもん)を左傾した直線で施文している。
図139の2~9は野島式。胎土に繊維を含む他、砂粒・石英粒を含んでいる。色調は2・3・7の淡黄褐色のものと、4・5・6・8・9の赤褐色を呈するものとがある。焼成は良い。2は波状口縁で、単純に外に開く深鉢。波頂部は突起に近く、指でつまみあげる一方、内側に向かって軽く膨らませている。口唇部は軽く内側にそいでいる。地文の条痕文はやや幅広で、横位に施文している。波頂部と波底部より降帯を垂下し、隆帯上に幅四ミリ前後と幅広のキザミを施している。波頂部からの隆帯には左傾のキザミ、波底部からの隆帯には右傾のキザミと、交互に傾斜方向を変えている。内面は、器面より幅の狭い条痕文を浅く施している。3は外反する口縁部片。口唇は内そぎ、沈線や刺突列で文様を描いている。7は地文として条痕文を施した後、隆帯をめぐらし、幅広のキザミを施している。上から同様の隆帯を垂下させて連接している。隆帯より下方へは、半截(はんさい)竹管により幅広の沈線を密接して施文している。裏面の条痕文は横位と斜位である。8・9は条痕文を施した後、幅広の沈線で文様を描いている。8は厚さ一三ミリと厚手で、裏面の条痕文は浅く、9の厚さは七・六ミリと薄手で、裏面の条痕文は深く施している。4~6は表裏に条痕文を施している。
第二群土器 前期の土器である。
10は花積下層(はなづみかそう)式。胎土に繊維を含む他、径三~四ミリの石英粒、砂粒を多量に含んでいる。色調は淡黄褐色を呈している。焼成は良いがもろく、裏面に剝落がある。文様は縄文だけで、原体は〇段三条のRLである。
11~23は関山式。胎土に繊維を含む他、微細な砂粒を含んでいる。色調は11・19・23が淡黄褐色。12が黒色。13・20・23が赤褐色、14~16・21が暗褐色、17・18が淡赤褐色である。11~17は単節縄文を施文している。原体は11が RL と LR、12・16・17が RL、13が LR である。15の原体は不明である。14の原体は、最終の撚りはRであるが施文が不鮮明で正確さに欠けるが、前々段を反撚りにしたらしい。12の上端は、輪積接合部で剝がれている。18~21は単節縄文を施文した後、半截竹管による沈線文やコンパス文を施文している。21は波状文に近いコンパス文をタガ状に施文している。縄文原体は20が〇段三条のRLで、他は不明である。22は直前段合撚りのを施文している。右隅に逆撚りの縄文がわずかに残っており、二種の原体で羽状に施文している。23は組紐縄文で、原体はRRLLである。いずれも関山Ⅱ式であるが、21は黒浜式まで下るかもしれない。
図140の1~3・5~9は諸磯式。色調は1・3・6が淡赤褐色、2・7・9が黒褐色、5・8が赤褐色を呈している。胎土に砂粒・石英粒を多量に含んでいるが、整形・焼成ともによく、しっかりした焼き上がりとなっている。1は外反する口縁、へラ書きによる平行沈線をめぐらし、半截竹管による幅広の爪形文を施している。2はへラ書きによる太沈線と、細沈線で文様を描いている。3は底部際片。単節縄文を施文した後、半截竹管による平行沈線をめぐらしている。縄文原体はRLである。5~8は細い条線を施した後、細い粘土紐を貼り付け、半截竹管で粘土紐の上を押し引きしている。9はロ縁全体が外反し、口唇近くで内湾している。へラ書きによる太沈線と細沈線を交互に施し、口縁部は左傾施文している。その上から、縦長の大きな瘤を貼付している。1~3は諸磯b式、5~9は諸磯C式である。
4は十三菩提(じゅうさんぼだい)式。強く屈曲しているが、器形は不明。色調は淡褐色を呈している。胎土に砂粒・石英粒・微細な雲母片を含んでいる。焼成は良く、堅緻な質感である。頸部より上に、半載竹管で管内痕なる平行沈線をめぐらしている。
第三群土器 中期の土器である。
図140の10は勝坂式。色調は赤褐色を呈している。太い粘土紐を貼り付け、隆帯の下端には沈線と刺突文を施し、隆帯の斜めになった側面には深いキザミ、隆帯の上に沈線を施している。
11~20は加曽利E式。色調は11・14・16・20が赤褐色、12・13・18が淡黄褐色、115・19が暗赤褐色、17が暗褐色を呈している。胎土に砂粒・石英粒を含んでいる。焼成はいずれも良い。11・12は口縁が内湾して広がっている。隆帯をめぐらし、左端は口縁に接続し、右端で渦巻かせている。隆帯で囲んだ内側には単節縄文を施している。縄文原体は11がLR、12がRLである。13は口縁が軽く内湾しながら開いている。胴中位でくびれる甕である。複節縄文を施した後、口縁部をナデて縄文を消し、円形刺突文を二列めぐらしている。頸部に向けて沈線が右傾して垂下している。縄文原体はLRLである。14は上端部に無文部があり、口縁部文様帯に接続する位置である。複節縄文を縦位に施している。縄文原体はRLRである。15・16は撚糸文を施文した胴中位の破片である。撚糸原体は16がR、15はLRをL巻にしている。17・18・20は単節縄文を地文とし、沈線をめぐらしたり、懸垂文を垂下している。懸垂文間は磨り消している。縄文原体は17・18がRL、20がLRである。19は沈線文のみである。15・16は加曽利EI式、11~14・17~20は加曽利Ⅱ式である。
石 器
住居址のピット内より打製石斧が出土している。石材は安山岩。片面の下半分を自然面のまま残し、他を大まかに調整剝離している。刃部の造り出しも含めて雜な剝離であるが、打製石斧の切損品である。現存長六・七五センチ、幅六・二五センチである。所属時期は縄文時代であろう。
弥生時代の遺物
22の色調は淡赤褐色を呈している。胎土に大粒の石英粒と小粒の石英粒・チャート粒を含んでいる。器壁厚は五〜五・七ミリと薄手である。歯の幅の広い櫛状工具による波状文をめぐらしている。23は壺の頸部片。頸部より上は内外ともに朱を施している。頸部に円形付文を貼付している。円形付文は四つ連続し、少し間があいている。24は甕の口縁部片。口唇部にキザミを施している。22は中期の宮ノ台式、23・24は後期の前野町式である。

図139 石戸城跡出土遺物拓影図(1)

図140 石戸城跡出土遺物拓影図(2)

古墳時代の遣構と遺物
一号住居址
平面形は隅丸方形である。長辺は五・九メートル、短辺は五・四メートル。長軸方向はN-36°ーWである。壁高は一五~二〇センチである。炉は中央より西に寄っている。焼土の大きさは長径一メートル、短径五〇センチで、非常によく焼けている。東南壁の一部には壁溝が設けられている。竪穴の周辺に小ピットを六個穿(うが)っている。壁際より最も遠いもので約七二センチ、近いもので約一四センチである。上屋のためのピットである。主柱穴はP₁・P₂・P₃・P₄の四本である。南隅に貯蔵穴がある。
一号住居址出土の土師器
図142の1は小形壺。口縁は楕円形で、短径は六・五センチ。器高九・五センチ。底径四・二センチ。胴部最大径九・四センチ。色調は淡赤褐色を呈している。胎土に大粒の石英・チャート粒を含んでいる。焼成は良好である。口縁は内湾し、胴中位より少し上に最大径がある。器面はへラ削りしたのち、へラ磨きを施しており、滑沢をおびている。2は口縁の立ち上がりが短い壺。口径七・一センチ。器高一四・四センチ。底径五・二センチ。胴部最大径は一二・五センチ。色調は黒褐色を呈し、胴部から底部へは炭化物が付着し、まっ黒である。胎土に多量の砂粒を含んでいる。器面全体を指で整形し、その凹凸は口縁部まで達している。全体にハケ目痕がある。内部にヨコハケが残っている。3は壺。口径八・七センチ。器高一五・一センチ。底径四・二センチ。胴最大径一二・九センチ。色調は赤褐色を呈し、器面全体にススが付着していた痕跡があるが、剝落している。胎土に砂粒を多く含んでおり、もろい。口縁は内湾しつつ外反している。口唇内側に稜(りょう)を持つ。4は台付甕の台部。台部の色調は赤褐色を呈している。破片の上端は黒色で、甕体部はススで黒色であったらしい。胎土に石英・チャー卜粒を含んでいる。頸部を除いた甕体部と台部にハケ目痕を有している。5は高坏脚部。現存高六・二センチ。色調は淡褐色を呈している。胎土に砂粒を含む。器面は縦方向にへラ磨きを施し、なめらかである。脚部内側に横位のハケ目が残っている。6は高坏片。現存高六・五センチ。坏部下端に稜(りょう)をもつ。器面全体にへラ磨きを施している。脚部に四つ孔(あな)を穿(うが)っている。色調は淡赤褐色を呈している。胎土に砂粒、大粒の石英粒を多量に含んでいる。7は高坏。口径ニーセンチ。器高八センチ。色調は赤褐色を呈している。胎土に砂粒と石英・チャ—卜粒を多量に含んでいる。焼成は良好であるが、器面が荒れており、吸水性に富んでもろい。器壁厚はやや厚手である。口縁が内湾する坏部である。下端に稜を有している。脚部は大きく開くが、裾部を欠いている。孔は三つ穿っている。8は特殊器台(きだい)。色調は白っぽい褐色を呈している。胎土に砂粒と小粒の石英粒を多量に含んでいる。中央に孔を穿っている。孔中央より鍔(つば)の端まで七・九センチ。現存高七・二センチである。口縁部は外反し、円孔を穿っている。体部に張り出した鍔の幅は約一・九センチである。4・7は床上九センチと一〇センチに出土し、他は床面に密着して出土している。
1・2はローカルな作りであり、8は搬入品であろう。いずれも五領I式である。

図141 石戸城跡1号住居址実測図

写真82 石戸城跡1号住居址全景

図142 石戸城跡出土遺物実測図

<< 前のページに戻る