北本市史 資料編 現代

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第1章 政治・行政

第2節 町制下の行財政

4 下水道
都市計画事業としての下水道は、第一下水路が最初のもので、昭和三十八年に着工、翌年完成した(資料32)。同下水路は開渠で、市街地を貫流する在来水路を拡張したものであったが、これに続く古市場下水路、勝林下水路は暗渠の幹線下水路であった(資料33・35)。幹線下水路を建設する場合には、排水地域や排水量に応じた下水路の容量と終末処理場が設備されるよう、総合的な計画が必要である。ここに採録した基本計画は、そのような総合計画の最初のものとおもわれる(資料36)。なお同資料は勝林下水路事業認可申請書(資料35)に添付されたものだったため、ここでは策定年を昭和四十五年としたが、古市場下水路の認可申諸以前の可能性が大きい。
右の都市下水事業は、雨水排除を目的に市町村が行う事業で、ふつう自然放流される。一方家庭雑廃水・工場廃水の放流には終末処理が必要であるが、これらの廃水をも都市下水路に流し、簡易処理で放流したため、河川の汚濁が深刻な問題となった。雨水と廃水を同じ下水路に流し、膨大な水量を処理する施設を市町村ごとに設けることは、きわめて困難だったのである。そこで家庭雑廃水・工場廃水を雨水から分離し、終末処理を数カ市町村の共同で行えば経済的である。このような下水道を流域下水道といい、埼玉県にはその一つとして川口市から熊谷市にいたる荒川左岸流域下水道計画があったが、第二次事業は全く未着手であったため、期成同盟を組織してその促進をはかり(資料34)、翌々年埼玉県が第二次事業計画を決定したのを機に、関係四市二町は事務組合を設置し(資料37・38)、完備した下水道の建設へ進み始めた。

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