北本市史 資料編 現代

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第1章 政治・行政

第1節 戦後の村政

町村合併
戦後政治は「民主化」を至上の課題として発足したが、サンフランシスコ平和条約で占領が終わり、かつ経済復興も一段落した昭和二十年末になると、「民主化」よりも「能率化」が重視されるようになり、そのための施策として、町村合併が全国的にすすめられた。それは合併促進法が「町村の組織及び運営の合理化・能率化」を目的にかかげていたとおりであり、さらに言えば合理化・能率化によって市町村の行財政力を強化し、高度経済成長の基盤づくりをしようとする意図が秘められていた。自治省・都道府県は一体となって強力なPRを行う一方、合併町村にはさまざまな特典を認めて早期実現をはかった。埼玉県においても県が主導し、最初の合併案も県が提示した。
北本宿村について県試案が示されたのは、周辺一〇か町村との合併であったが、同案は関係町村からあまり問題にされず北本宿村も独自に常光村との合併をすすめたのであった。両村合併は新村建設計画まで準備され、順調に実現するかに思われた(資料16)。ところが常光村で反対が強まり、交渉打切りへ急変した(資料17)。そこで桶川町との合併が検討されたが、これも相手側の意欲が弱く実現しなかった(資料18)。行き詰った事態を打開するため、合併協議会は各地区ごとの意向をまとめたところ、実に三一地区が「現状維持」を表明したのであった(資料19)。この三一票の重みは議会にも反映し、合併交渉の打切りが議決され(資料20)、単独町制への第一歩を踏み出したのである。

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